とある事務所の将棋紀行

将棋の好きなアイドルが好き勝手に語るみたいです。

佐久間まゆの徒然観戦  Open my eyes for dreaming

 

「何が、起きたのでしょうか…」

 

f:id:kaedep:20160913233123j:plain

 

終局直後の菜々さんのその言葉が、一局をよく表していました。

背筋が震えるような…得体のしれないものを見たような…。
畏怖のような感情すら湧いています。

事務所の空気も同じようなものでした。言葉が出ません。

 

……何が起きたのか。もう一度、振り返ろうと思います。

 

 

第64期 王座戦第1局 羽生王座―糸谷八段 戦
(2016年9月6日)

 

王座戦の開幕…。ここ数年続いていた、4連続タイトル防衛戦の最後です。

今年は、いろいろな事がありました。

少し、取り乱してしまったこともありましたけど…周りは関係ないですよね。
あの人が頑張っているなら、それを応援するだけ。そう決めました。

 

 f:id:kaedep:20160913234643g:plain

▲7六歩   △3四歩   ▲2六歩   △3二金   ▲2五歩   △8八角
▲同 銀   △2二銀   ▲6八玉   △3三銀   ▲3八銀   △7二銀
▲7七銀   △6四歩   ▲2七銀   △7四歩   ▲7八金   △6三銀
▲2六銀

 

糸谷さんは、昔から一手損角換わりが得意です。
すごくバランスの難しい戦型ですけど、薄い玉でも崩れない、独特な棋風ですね。

羽生王座も棋聖戦第5局など、採用はしますけど…指し方が違います。
個性が出やすい戦型なのかもしれません。

先手の羽生王座は棒銀で対抗しました。普通の角換わりとは1手違うから…ですけど、簡単には突破できません。

細かな駆け引きが続きます。

 

f:id:kaedep:20160913235031g:plain

 △1四歩   ▲3六歩   △4四歩   ▲3五歩   △6五歩▲3四歩  
 △同 銀   ▲7九玉   △7三角   ▲3七角   △4二飛

 

角を打ちあって、△4二飛。不思議な形ですが、これで先手を牽制しているんですね。後手は1手損を利用して、飛車先を突かずに駒組みを進めます。

駒を前に出そうとすると隙を突かれるので、強い攻めが決まりにくい…手を作りにくい展開です。

 

f:id:kaedep:20160913235758g:plain

▲6六歩   △同 歩   ▲同 銀   △7二金   ▲5八金   △4五歩
▲7三角成 △同 桂   ▲3七銀   △3三角   ▲6七金右

▲5八金を、後で羽生王座が悔やんでいました。…いえ、ここまでの手順に問題があったかもしれない、とすらしています。

意味が分かりませんよねぇ?でも、そういう世界なんですよ。

後手から角交換して、△3三角。この銀取りを受けるための▲5八金なんですよ。でも、ここからの手順が鋭かったんです。

 

f:id:kaedep:20160914000002g:plain

△3六歩 ▲同 銀   △3五歩

△3六歩から銀をつり上げて、△3五歩。これで、銀が逃げる余裕がありません。

▲2七銀は、△4六歩から後手の猛攻を浴びます。▲5八金のままなら、▲2七銀△4六歩▲3八銀で受けが効いたんですけど…。▲6七金を強制されて、受けきれないんです。

 (変化図)

f:id:kaedep:20160914002331g:plain
▲2七銀△4六歩▲同歩△同飛
(△4九飛成と△6六角の十字飛車が受かりません)

ここで、羽生王座の手が止まりました。

 

 f:id:kaedep:20160914000020g:plain

▲2六角   △3六歩   ▲5三角成 △5二銀 ▲4二馬   △同 玉(図)
▲8一飛   △6四角   ▲1八飛

 

▲2六角。17分でしたが、長く感じましたねぇ…。攻め合いなんですけど、他に手がないともいえます。
でも、銀をそのまま取られて、馬も交換することになって…銀損です。

 

このとき、事務所も嫌な空気に包まれまていました。馬も消えてしまって、飛車1枚ではどうしようもない…と。

「矢倉に『銀損定跡』はあるけど、先手玉が堅く攻めが続くから成立してるの。この局面だと…」
継ぎ盤を挟んだ、美波ちゃんの顔も曇っていました。

▲6四角は攻防に効いていて、やはり厳しく見えます。▲1八飛と駒を封じ込めたところで、糸谷さんが手を止めました。

おそらく、良くできるとみての長考…でしょう。辛い、時間でしたね。

 

f:id:kaedep:20160914001112g:plain

 

「……いくら何でも長すぎませんか?」(ありすちゃん)

10分…20分…。残り時間は既に2時間を切っているのに、手が指されません。

盤を囲って検討が始まり……しばらくして、手が止まりました。

 

自然に見える△3七歩成は、▲6五歩が角取りです。△同桂▲同銀△5五角…

(変化図1)

f:id:kaedep:20160915003506g:plain

(▲1八飛から△3七歩成の変化)

△3七歩成 ▲6五歩   △同 桂   ▲同 銀   △5五角右 ▲6四桂
△6一歩   ▲9一飛成
(次の▲5六香や▲5二桂成から▲6一竜が受けにくいです)


飛車を捕獲しにいく△8二銀や△8五桂も自然ですけど、▲3五歩がありますねぇ。

この銀が動くと、▲2一飛成~▲2三竜と逃げられるんです。

(変化図2)

f:id:kaedep:20160915004134g:plain
(▲1八飛から△8二銀の変化)

△8二銀   ▲3五歩   △7一金   ▲同飛成   △同 銀   ▲3四歩
△1五角   ▲5四金
(角を取れる上に駒がバラバラで、後手玉が不安定ですね)


(変化図3)

f:id:kaedep:20160915004151g:plain

 (▲1八飛に△8五桂の変化)

△8五桂   ▲3五歩   △4三銀引 ▲2一飛成 △3一金   ▲2三龍
△3二銀打 ▲2四歩   △2三銀   ▲同歩成   △1五角   ▲6五歩
△8二角   ▲6四桂
(後手陣にと金ができて嫌みが多いです)

  

もちろん後手が悪いというわけじゃなくて、どの変化も難しいのですが…「銀損」した将棋が「難しい」んです。

どうなっているのか…次の手が指されるのを待つしかありませんでした。

 

f:id:kaedep:20160914001127g:plain

△6五銀 ▲同 銀   △同 桂   ▲6六歩   △5七桂成 ▲同 金   △6一歩
▲5六桂

 

33分かけて放たれたのは、△6五銀…。▲6五歩を防ぐ意味でも、自然な手ではあります。ですけど、これは精算して▲6六歩が受けの好手になります。
先手陣が、一気に引き締まりました。

底歩で飛車の効きを止めましたけど、▲5六桂が絶好です。
……ここ数手で、「後手が良い」という雰囲気は消えてしまいました。

 

何が起きたのか分からないまま、指し手が続いていきます。

 

f:id:kaedep:20160914001142g:plain

△5三角   ▲8八玉   △5五角   ▲4四銀   △同角上 ▲同 桂  
△同 角   ▲9一飛成 △4三銀引 ▲5六香

 

▲8八玉の早逃げも好手ですね。戦場から遠ざかりつつ、△3五角で玉を睨む手を消しています。
羽生さんらしい手渡しです。そしてそれは、手を渡せるだけの余裕があるということなんです。

 

▲5六香で夕食休憩に入りました。

このときには、満場一致で「先手優勢」の見方でしたねぇ…。歩切れがとても痛いです。

…でも、この香は銀損から23手後に取った香です。
最初は、取れる見込みすらなかったんですよ?△6四角が睨んでいましたから。

理解が追い付かない…その一言に尽きます。

 

f:id:kaedep:20160914001203g:plain

△6二金 ▲6四角   △3三玉   ▲5二香成 △同 銀   ▲4六歩  
△5三香 ▲4五歩   △5七香成 ▲4四歩   △6七銀   ▲5一角
△2二玉

粘りや早指しに定評のある糸谷さんですけど、粘る手段がありません。歩切れですから、細かな受けの手段がありません。

攻め合いを目指しますけど、8八玉が遠いですね。そして、封じ込めたはずの▲1八飛が受けによく効いています。

後手の攻めを受ける手もありますが、一直線に勝ちにいきました。このあたりも、羽生さんらしい指し回しです。

先手玉は、絶対に詰みません。そして、収束です。

 

f:id:kaedep:20160914001209g:plain

▲3三歩   △同 桂   ▲4三銀   △同 金   ▲同歩成   △同 銀
▲3四歩   △同 銀   ▲6七金   △同成香   ▲3二金

まで、95手で先手の勝ち

 

▲4三銀で、後手は受けなし。最後は▲6七銀と質駒を取って、後手玉を即詰みに打ち取りました。

 

…そして、冒頭の場面につながります。

 (投了図)

f:id:kaedep:20160914001222g:plain

 

もともと、羽生さんの指し方は…その強さは「理解できない」ところにあります。

予想していなかったけれど、指されてみると難しい…これは非常に大きな武器です。それまでの相手の読みが外されるわけですから。

だからこそ、羽生さんに対する棋士の多くは「序中盤で先行して、逃げ切る」という形を目指すわけです。

 

……でも、それが分かっていても、本局は異常でした。中盤が始まったばかりの局面で銀損をして、それでも難しい。

それまでの手順に細かな問題はあったのでしょう。でも、銀損から明快に良くならない……そんな局面を作り続けたことが恐ろしいんです。

 

感想戦も、徹底してその周囲が調べられました。やはり△6五銀が疑問手だったという話でしたが、はっきりした代替案がなかなか出ませんでした。

その前の△5二銀や△6四角以外にも、有力な手はいろいろあります。なのに、進めると難しい…。

「わずかに後手良し」や互いに怖い陣形になってしまいます。

もちろん、本譜より他の手を選ぶべきなんでしょうけど、糸谷さんの感覚を狂わせた…それほど不思議な局面だった、と言う方が適切かもしれませんね。

そして羽生さんは、「そういう局面」だと判断して誘導したわけです。

 


「見えている世界が違うんですかねぇ…」

菜々さんの茫然とした呟きに、答えられる人はいませんでした。

 

 

 

今期は、いろいろなことがありました。いろいろな意見もありました。

……今が永遠に続くわけがないことは、分かっています。

それでも…こんな手を見せられたら、夢をみたくなるんです。

理解のできない手を、その感動を、ずっと観られるんじゃないか…って。

 

 

 

夜、プロデューサーさんから連絡がありました。

『お誕生日、おめでとうございます。何か希望がありましたら、できる限りお受けします』

日付をみると、9月7日でした。夢中になって、半分忘れかけていましたねぇ…。
プロデューサーさんらしい文面でしたけど、何をお願いするか、少し迷います。
2人の時間は、これからいくらでも作れる。…いや、作る。

だから、今しか抱けないこの想いを、夢を、残そう。

そう決めて、お願いすることにしました。

 

『じゃあ…久しぶりに、企画に参加させてください』

 


願わくば、目を開いて、その夢の続きを。

 

 

(了)