とある事務所の将棋紀行

将棋の好きなアイドルが好き勝手に語るみたいです。

新田美波の定跡解説  勇気流から広がる景色

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「ミナミ、ドーヴラエ ウートラ!」

…………。

「ミナミ?」

 え、アーニャちゃん!?ごめんね、ちょっと集中してて。

「ダイジョブ、ですね。でも、ミナミが悩んでるところ、珍しいです」

 うん。ある形について質問されたんだけど、自分でも理解できてるか不安があって……。

「シト?ミナミが分からない形、ですか?」

 これなんだけど……

 

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「ンー、不思議な形ですね」

『勇気流』って言われてるんだけどね、難しい変化が多くて。

「勇気…ですか?アーニャも気になります」

 そうだよね……中途半端なままなのは、よくないかな。

 

 アーニャちゃん、スケジュール空いてないかプロデューサーさんに聞いてみようか。

「!ミナミのレクツゥイア……やりますか?」

 うん。挑戦してみる。まずは実戦例を集めて……

「どのくらい、集めますか?」

 えーとね……

 

 たくさん!

 

~数週間後~(事務所の一室にて)

 

 それでは講義『勇気流について』始めます。よろしくお願いします。

「よろしくお願いします。ミナミのレクツゥイア、久しぶりですね?」

 そうだね、前は…クリスマスだったかな?藤井システムがテーマだったよね。

「ダー、ミナミが、カツラを飛ばしてました!」

……アーニャちゃん、それは桂馬だよ。

 

 最初に、勇気流って何の戦型か分かるかな?

「ンー、横歩取り…ですね?」

 そうだね、▲3四飛と横に動いて歩を取るから『横歩取り』。このあたりは、前にも触れたことがあったかな。

「ダー。でも、先手の飛車の位置がオカシイです。そこはアパースノスチ…キケンだと教わりました」

 この戦法の一番の特徴はそこかな。飛車がここにいる理由や主張はもちろんあるから、順を追って説明していくね。

 

 

・青野流と勇気流(指された背景)

 

 もともと勇気流が指される前によく似た形があったのね。『青野流』っていうんだけど……

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「アー、とてもそっくり…ですね」

 横歩取りって普通『先手の1歩得 対 後手の手得』って構図でしょう?

 先手は1歩取るかわりに、▲3六飛―▲2六飛と手数をかけて戻らないといけなかったわけ。後手に主導権がある将棋になるから、しばらく面倒を見ないといけないの。

「ダー。後手が先に攻める将棋だと、教わりました」

 その通り……なんだけど、やっぱり先手としては面白くないわけ。だから「飛車を戻さないで▲3四飛のまま戦う」ことにすれば、1歩得したまま先攻できるのではないか。
 これが青野流の狙い。ある意味欲張りな作戦かな。

「パニャートナ、でも…最近みたことないですね?」

 攻めが続くことは分かってきたんだけど、後手が攻め合いを選んだときが大変で。
 具体的には、△7六飛って手があるのね。後手も横歩を取る手なんだけど……

「どちらも、似た形です」

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 次の狙いは△8八角成で、▲同銀は△7八飛成、▲同金は△7九飛成で将棋が終わっちゃう。
 横歩取りではよく出る筋だから覚えておくといいかな。
 対して後手は△3三角と△3一銀の形だから、飛車を成られる心配はないのね。

「パニャートナ、『損して得とれ』ですか?亜子が言ってました」

ことわざ通りかは難しいけど、形にもメリットとデメリットってあるから。

 お互いに歩の損得がなくなって、手番は先手。でも、後手の低い形が攻め合いと相性がいいんだよね。
 ここで△8八角成を受ける▲7七角と▲7七桂という手の両方が、先手苦戦気味とみられているかな。だから、この形はだんだんと指されなくなっていったの。

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(▲7七角に対する模範得演技。両取りが受からないので先手も▲2二歩から攻め合いにするが、△3三桂ー△4五桂の応援が効く)

これが、勇気流が指される前の話だね。

 

・勇気流

 

 さて、勇気流なんだけど……大きな構想や狙いは青野流とほぼ同じ。
でも▲5八玉に換えて▲6八玉と上がるのが骨子となる一手なの。

「ンー、1マス、違うだけですね?」

 重要なのは、さっきの青野流でみた△7六飛の局面ね。▲5八玉型だと△8八角成の先手だったけど、▲6八玉型だと……

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「プリクラースナ、玉が金を守ってます!」

 これなら△7六飛が先手にならないし、むしろ後手の飛車をいじめることができそうだね。
だから勇気流は、青野流の弱点を改善した作戦…ともとれるかな。

 佐々木勇気五段が指し始めて、先手をもって連戦連勝。棋王戦では佐藤天彦名人を勇気流で破って、挑戦者決定戦まで勝ちあがったの。この活躍が注目を集めるようになったきっかけかな。

『勇気流』って名前が広まっていくのもこの頃だから……去年の12月くらいだね。とっても新しい戦法だよ。

 

「ミナミ、どうして勇気流は、これまで指されませんでしたか?」

 んー、確かに▲6八玉でプラスになる部分はあるんだけど、横歩取りって8筋が戦場になるでしょう?わざわざ序盤に近づこうとする発想がなかったの。

 あと青野流は攻め好きのスペシャリストしか採用しない戦法だったから、青野流が苦戦しても▲3六飛と引く普通の横歩取り指せばいい……って理由はあったかも。

「この形がトクベツ…ですか」

 でも、指されてみると後手をもって咎めるのが難しかったんだよね。まだまだ結論が出ていない部分もあるけど、具体例をみていこうか。

「ダー!」

 

 ▲6八玉で後手の手番だけど、指し手は何通りかに分かれるの。ホワイトボートにまとめて書いておくね。

 

~ 勇気流 後手の応手 ~


・△2二角成―△2七角

……▲4九金が浮いているために生じた手。勇気流を咎めにいく

△2二銀―△8二飛(順不同)

……先手の攻めを抑える狙い。8筋からの反撃も含み

△8五飛

……次に△2五飛▲2八歩の手順を狙う。△8五飛と戻ることが多く手損が気になる

△7六飛
……それでも横歩を取る。実戦例は少ない。

 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 
 このぐらいかな。後手は△8六飛をどこかに動かすのだけど、その位置によって展開が決まってくるね。

「ミナミ、青野流だと△5二玉が…優秀でした。ここで指してはダメ、ですか?」

 ダメ……かは難しいけれど、△5二玉型って右辺の守りを放棄して△7六飛の攻め合いが狙いだから、▲6八玉型相手に指すと損になる変化が多いかな。

 

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(後手から早い仕掛けが難しく、△2二銀には▲4五桂がある)

 

 すぐに△7六飛と取った実戦も△4一玉型だし、攻め合いというよりは他と同じく先手を抑える方針だったね。実戦例は少ないし、上手くいったかは微妙だったから……△7六飛と取りにいく手は、あまりオススメできないかな。

 

・△8八角成―△2七角

 

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 角交換から△2七角が一番先に考えないといけない変化だね。▲6八玉型だから生じた手で、4九の金が浮いてるのを咎めにいったわけ。

「金がジョールカ…浮きますか?」

 その意味じゃなくて、「誰にも守られていない駒」ってこと。青野流は玉が5八にいるから△2七角で金取りにはならないでしょう?

「キング…玉が真ん中にいると、バランスがいいですね」

これが後手良しだと、勇気流は成立しないって結論が出ちゃうから…大事な変化だね。

「先手は、どうすればいいですか?」

▲3八銀△4五角成として馬は作られちゃうんだけど、▲2四飛が巧い切り返しになるの。

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「……△2三歩と打つと?」

 ▲7七角が両取りで、『△4五角急戦』みたいな変化になるかな。そのときに先手の▲6八玉や▲3八銀が従来の定跡よりも得になってるから、これは先手良しだね。

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 △1二馬と引いた実戦はあるけど▲7五角が追撃の一手。以下は先手は馬を好位置に引けるから、働きの差が大きいかな。結果も、先手の攻めが続いて勝ってるね。

 

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「馬を、ウマく使うんですね!」

 ……アーニャちゃん、また楓さんに教わったの?

「ダー!日本のジョーク、たくさんありました!」

(楓さんのダジャレはジョークなのかな…?)


 今のところ、勇気流に対して「後手がいっぺんに潰しにいく変化は上手くいかない」って感じかな。だから後手の主な方針は「抑え込み」になるのね。

 先手の攻め駒は飛車、角、桂、歩だけになりがちだから、隙を作らなければ飛車をイジメたり8筋から反撃してよくできるだろう……って構想。

 対して先手は攻めを繋げる必要があるのだけど、佐々木五段曰く「相手の手に乗って捌く」振り飛車みたいな感覚がいるみたいだね。

「相手の手に?…どういうことでしょう」

 

・△2二銀―△8二飛

 

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 例えば△2二銀―△8二飛は一番典型的な筋で、青野流でも抑え込む目的で一時期指されていたの。

 先手は▲3七桂と一番強気で対応するのね。▲8三歩、▲8四歩と連打して一手かせいで、青野流の場合は先手の攻めが成功するのだけど……この局面、少し振り飛車の攻めみたいでしょう?左右は違うけどね。

「パニャートナ、なんとなく…似ていますね」

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(青野流の変化。▲3七桂以下△8八角成▲同銀△3三銀▲8三歩△同飛▲8四歩△8二飛▲3五飛△8四飛▲6六角△8二飛▲4五桂  飛角桂がめいいっぱい働いている)

 勇気流だと玉の位置の差でこの変化にはならないけれど、やっぱり「捌く」ことが重要になるわけ。恐れず、強気で前に出ていく将棋になるね。

 成功例としては、羽生―深浦 戦があるかな。▲7五角から馬を作って、じっと▲5六馬が好手順。この後は竜も作って、二枚の圧力で攻め勝つの。

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(上の手順とほぼ同じで、▲6六角に換えて▲7五角。この馬を働かせていく)

「ハラショー!ミナミが押し倒しました!」

 アーニャちゃん、「押しつぶす」と「攻め倒す」を混ぜちゃいけません!

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 (竜と馬で盤上を制圧、と金作りが受からず先手優勢)


 もっとも、一直線の研究勝負になっちゃう形だから……その後は先手が避けていることも多いね。水面下で「先手不利」の結論が出ていてもおかしくないと思う。

「ンー、難しいです……」

 その後は▲3五飛から攻めを組み立てるのが主流になっているね。銀を上がって、桂を跳ねて……

 

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「ニチェボー、△2八角と打たれてしまいますね?」

 うん。そう指した実戦もあるし、それが勇気流の威力を見せつけた棋王戦の佐々木勇ー佐藤天 戦だね。対策はちゃんとあって、先手はそこで▲3二飛成と切る!

「シト!?」

そして▲1八金と打つの。これで角が詰んでるよね。

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「パニャートナ。とても激しい手、です」

 △3七角成▲同銀とした局面は駒の損得はほとんどないし、後手陣は薄くなっている。この後は▲2四歩から拠点を作って攻めていけるし、先手陣は飛車打ちに強いから。

 この▲4九金・▲3八銀型の優秀性が、最近は見直されてきている気がするね。

「これ、美濃の形…ですね?」

 うん。一手で完成する形だし、1段金で守りも堅い。大駒の打ち込みも少ないし、いざとなったら第二の囲いとして逃げ込む余地もある。

 後手横歩△7二銀型も似たような意味があるし、角換わり▲4五桂速攻もこの形だね。

「美濃の形はクラシーヴィ…美しいです。」

 弱点もあるけど、汎用性が高い形なのは間違いないね。
 ただ、攻めに使う右銀まで囲いになっちゃうから……攻めを続けることが大変っていうのは、どの展開にも共通してるかな。

 

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戻って△8二飛の対策だけど、8筋に歩を打たないで、逆に攻めの起点にする指し方もあるよ。山崎流の応用みたい……って言っても分からないかな。菜々さんだったら喜んでくれそうだけどね。

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(上図以下△同飛▲2三歩△同銀▲同飛成△同金▲5六角 で両取りがかかった。△8七歩成はあるが、先手は右辺に逃げられる)

  △8六歩の垂らしは怖いけど、勇気流だと▲8四歩や▲8五歩で受かってることも多いから、覚えておいて損はないかも。他には△8七歩成を許しても攻め合いにして、▲5八玉から早逃げした実戦もあるね。

 新しい対局だと棋聖戦挑戦者決定戦 糸谷ー斎藤 戦で、▲2五飛から飛車を引いて2筋攻めを見せる構想も指されているし……

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(2筋に拠点をつくる。この後、角交換から▲2三角と打つ展開に)

 あの手この手で、攻めのきっかけを作りにいくのが勇気流の特徴だね。

 

・△8五飛

 

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 △8五飛と引く手も有力な対策だよ。▲3六歩に△2五飛▲2八歩と打たせるのが狙い。こうすれば先手が2筋に歩を使って攻めることができなくなるから。

「先手の攻めが、制限されますね」

 でも歩を打たせた以上の働きを2筋でするのは難しいから、△8五飛と戻ることになるの。この飛車移動で2手かかるわけ。

 抑え込むために△8二飛とさらに引いて、△4四歩とゆっくり指そうとした実戦が佐々木勇気中座真 戦なんだけど…

 

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 ▲4六歩が攻めを継続する一手。▲4五歩から飛車交換に成功して、これで抑え込まれる心配がなくなったの。先手の作戦勝ちになって、後はゆっくり2筋の歩を伸ばして快勝!

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(後手は8筋から反撃を試みるも、▲8四歩~▲4五歩~▲4四飛で飛車交換に成功。こうなると、先手陣のスキのなさが活きてくる)

「このファイル…筋を突くの、珍しいです」

 この▲4六歩を突きやすいのも勇気流の長所かな。▲5八玉型だと玉のコビンを開けちゃうことになるからね。

 後手としては、先手に捌く余地を与えない指し回しが必要なんだけど……。先手の駒が伸びてきちゃうから、とても神経を使う展開になりそうだね。


 勇気流は横歩取りの中でも『先手に選択肢がある』戦法だから、横歩取りに誘導した後手に対して主導権を渡さないで済む点が魅力かな。

 他の形はどうしても、後手の飛車の位置や囲い、端歩の位置をみながら先手が細かく対応して受けていく将棋になるからね。

「ヴァチモア…どうして勇気流は、たくさん指されないのですか?」

 いままで話してきたように佐々木五段は先手をもって高勝率を挙げているのだけど……他の棋士はまちまちなんだよね。

「優秀なのに?」

 先手が攻勢を取ることはできるけど、繋がるかどうかギリギリの攻めをずっと繰り出さないといけないから。
 少しでも緩めば凌がれちゃうし、8筋や5筋の弱点を上手く対処しながら指し回す必要があるの。

 佐々木勇気五段はもともと鋭い攻めが得意な棋風で、この戦型との相性がよかったことが大きいかな。藤井システムを一番指しこなせるのが藤井九段なのと同じようにね。

 

 最新型ゆえに分かってないところも多いけど、それ以外にひとつ、悩ましいのは……

「シト―?悩み、ありますか?」

 新しい形な上に、採用する棋士も実戦例も多くなくて……まとめられた本が出てないの。

「アー、ミナミがまとめてくれましたね!だからダイジョブです!」

 ……これでも、入り口の少しだけしか解説できてないよ。
 手順の組み合わせが多くて力戦調の将棋になるから、そこは好みが分かれる将棋になるね。

 

 

 上手くできたか分からないけど、こんな感じかな。

「ハラショー!1マスの違いで…違った景色、広がってました」

 横歩取りは長年指されてきた戦型。でも、こんな序盤に可能性が眠っていたなんて……みんな、ずっと気がつかなかったの。
 それを形にした佐々木五勇気五段はすごいと思うし、将棋について分かっていることってごく僅かなんだとも思うよ。

「だから、みんな惹かれますね?たくさんの世界を観るのがプリヤートナ…楽しい、です」

 そうだね。分からないから、将棋って面白いんだと思う。

 

 

 今回はここまでにします。ありがとうございました!

「スパシーバ!ありがとうございました、ですね」

 

 

 

 

「そういえば、企画書に別の案が書いてありましたね」

 え、いつも通り教えるんじゃなくて?どんなのだろ……

『山手線のTシャツを着てジェンガをする』

 …………。

「ミナミ、これ、どういうことですか?」

 

 
 ある意味、これも勇気流……かな。

 

 

(了)

 

 

参考対局

 

青野流

第41期棋王戦 第2局 渡辺―佐藤天 戦(16年2月20日)

勇気流(初公式戦)

第10回朝日杯 佐々木勇―瀬川 戦(15年8月18日)

△2七角型

順位戦C級2組 岡崎―瀬川 戦 (17年1月14日)

△2二銀―△8二飛型

第66期王将戦 羽生―深浦 戦(16年10月8日)

第10回朝日杯 佐々木勇―橋本 戦(16年12月10日)

第42期棋王戦 佐々木勇―佐藤天 戦(16年12月9日)

第58期王位戦予選 佐々木勇―中村太 戦(16年12月26日)

第58期王位戦挑決リーグ 佐々木勇―豊島 戦(17年2月24)

第88期棋聖戦 糸谷―斎藤 戦(17年4月25日)

△8五飛型

第65期王座戦 佐々木勇―中座真 戦(16年11月18日)

第75期順位戦 行方―稲葉戦(17年1月11日)

第10回朝日杯 行方―佐藤天 戦(17年1月14日)

△7六飛型

第75期順位戦 行方―広瀬 戦(17年2月1日)