新田美波の名局振り返り 60秒の逡巡
昨年度の対局は、ドラマの連続だった。
藤井四段の快進撃に始まり、羽生竜王の永世七冠、引退を賭けた不屈の大激闘……。1つずつ取り上げればキリがないくらい、沢山の名勝負が観る人の心を動かした。
その中で一局、振り返って書いておきたい対局がある。
決して明るくはないけれど、忘れないでいたい人間の勝負だ。
A級順位戦10回戦 豊島将之八段―三浦弘行九段 戦(2018年2月1日)
昨期の三浦九段はA級順位戦最終局を迎える前、すでに降級の危機にあった。
順位11位で、3勝5敗。残留するには、あと2局を連勝するしかない状況だった。
対して豊島八段(当時)は各棋戦で好調を維持し、順位戦も6勝2敗でトップ。本局を勝てば名人挑戦が確定する。さらに順位戦は先後があらかじめ決まっていて、豊島八段の先手番。厳しい戦いなのは明らかだった。
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △8四歩 ▲2五歩 △8五歩
▲7八金 △3二金 ▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △8六歩
▲同 歩 △同 飛 ▲3四飛 △3三桂(上図)▲5八玉 △6二玉
▲3六飛 △4二銀 ▲3八金 △7二銀 ▲4八銀 △7一玉
▲9六歩 △8四飛 ▲2六飛 △2五歩 ▲5六飛 △2四飛
▲2七歩 △5四歩 ▲7五歩 △5三銀 ▲8六飛 △8三歩
▲6八銀 △8二玉 ▲7七桂 (図)
戦型は横歩取り△3三桂戦法、三浦九段がときおり採用する形だ。
マイナーな形ながら今の将棋の流行をふまえて考えると、勇気流や青野流を回避できるというメリットがある。
先手の対策はいくつかあって、急戦に持ち込む形も前例がある。しかし直近の前例は三浦九段が後手を持って終盤に千日手(木村―三浦 戦)が成立している。用意があることは間違いなかった。
豊島八段は急戦を見送り、組みあって1歩得を主張した。
△5五歩 ▲9七角 △3一角
▲7六飛 △6二銀 ▲9五歩 △5三角 ▲8八角 △8四歩
▲8五歩 △同 歩 ▲同 桂 △8三銀 ▲5五角 △7二金
お互いにひねり飛車のような形に組んで、中盤戦。
中住まいでスキを作らない先手陣に対して、銀冠で陣形差を主張する後手陣。
1歩得で持久戦なら先手が良いと思いたくなるが、金銀が前に出ていく将棋ではないので攻めが軽い。
後手としては千日手も辞さない方針で、無理に打開してくれば反撃する方針だ。
ただ先手が歩得を活かして攻めが続く格好になれば、その時点で勝負はほぼ終わってしまうリスクもある。
ジリジリとした神経戦が続く。
▲3六飛 △4二角 ▲7九金 △5三銀 ▲5六飛 △8四歩
▲4六角 △1四飛 ▲7三桂成 △同 桂 ▲7六飛(図)
△7一玉
▲3六歩 △6二玉 ▲3五歩 △5二玉 ▲2八角 △9二香
▲1六歩 △5四飛 ▲5六飛
先手は大駒と桂をめいいっぱい活用して、玉を射程に入れる。
歩切れで受けきれない後手は囲いから逃げ出し、右玉のような陣形に変化した。
そして飛車を中央に転回。
手抜いて△4五桂や△6五桂の殺到を許すわけにはいかないので、▲5六飛とぶつける。
飛車交換から一気に決戦になった。
△同 飛 ▲同 歩 △2六歩
▲同 歩 △3六桂 ▲3九角 △4八桂成 ▲同 角 △4五桂
▲4六歩 △4四銀 ▲4五歩 △同 銀 ▲6六歩 △6四角
後手の桂が働き始め、続けて銀と角も活用できた。先手の駒台には歩がたくさんあるものの、それを使える筋がない。
このあたりは後手がうまく立ち回ったと評判だった。
しかし、ここまでの応酬で持ち時間がない。広い先手玉を正確に攻略するのは難しく、自玉は薄い。難しい戦いが続く。
▲3七桂 △3六銀 ▲7六桂 △7五角 ▲5五飛 △5三角
▲4五桂打 △4四銀 ▲5三桂成 △同 銀 ▲4七歩 △5四歩
▲7五飛 △7四歩 ▲4五飛 △同 銀 ▲同 桂 △4四銀
▲8五歩 △6二金 ▲8四歩 △7二銀 ▲7一角 △2九飛
▲3九金 △1九飛成
5筋の折衝を切り抜けた後手は、先手陣への攻略を開始した。
しかし自然にみえる△2九飛が逸機で、△4五銀と桂を取りつつ上から迫っていく方が受けにくかった。
本譜は▲3九金と弾いた形が耐久力がある。4八の角が銀だったら、いわゆる「アヒル囲い」といわれる形だ。
▲8三歩成 △同 銀 ▲4一銀 △同 玉
▲6二角成 △3六桂 ▲6三馬 △5二銀 ▲5一金 △同 玉
▲7三馬
△3六桂は部分的に厳しいものの、角を取っても詰めろを掛けにくい。
攻め合いとなって▲5一金と捨てたのが好手順。△同玉▲7三馬から王手竜取りが掛かって形勢逆転。
△6二香 ▲1九馬 △4八桂成 ▲同 金 △4五銀
▲8一飛 △6一歩 ▲8三飛成 △3六桂(図)▲6四桂打 △3九飛
▲5三銀
不利な側は正着を指されたら敗勢になるわけで、難しい選択を相手にゆだねるのが勝負術になる。
おかわりの△3六桂が勝負手。詰めろではないものの、駒を渡すと先手玉も気持ち悪くなる。受けるのは後手を引くため指しにくい。
豊島八段もはり時間をほぼすべて投入して▲6四桂打から寄せ合いを目指した。後手は△3九飛、この時点で詰めろではない。
▲5三銀は明快な詰めろ。この手で豊島八段は1分将棋に。
▲6四桂打 △3九飛 ▲5三銀 △同 銀 ▲同 龍 △4一玉
日付も変わって最終盤のクライマックス。手番を得た先手が何を指すかという局面。先手には2つの手段があった。
ひとつは▲3三桂から詰ましにいく順。王手は続くものの、とても難解なので順を追って説明していく。
(変化図1)
(▲3三桂以下 △3一玉▲5一竜△2二玉▲2一竜△3三玉▲3四銀△4四玉▲5五銀)
後手は△3一玉と逃げるしかないが、▲5一竜から▲2一竜と竜でグルグル追いかけ回す。
▲3四銀△同銀▲同歩で精算しつつ王手を掛けて、▲5五銀が好手。△同歩は▲同馬で詰んでしまう。
(変化図2)
(△5三玉▲5一竜△6三玉▲5四銀△7三玉▲5三竜)
竜を引き戻して、王手を続けてこの局面。
先手の持ち駒がなくなったものの、この局面で合い駒を打つ必要がある。桂合が最善だが、▲同銀成△同香▲8五桂と打ち、△8二玉に▲7二桂成と捨て駒をするのが決め手。これで馬の効きが通って両王手になっている。
(変化図3)
(△6三桂▲同銀成△同香▲8五桂△8二玉▲7二桂成)
以下は△同玉▲7三桂成△8一玉▲8二成桂で詰み。
歩以外の駒と、盤上の攻め駒をすべて活用した、創作詰将棋のような手順。
合駒は数通りあるものの、どれでも詰む。
1九にいる馬が遠く後手玉の詰みに働いているのを確認してほしい。
しかし手数も変化も多くギリギリの詰み。桂を打った以上、もし詰み逃せば修正はできない。
もう一つの手は▲2四桂。必至を掛けた手で、自玉が詰まなければ勝ち。
王手は掛かるがこちらも変化が多く、先手の玉は広そうに見える。
豊島八段は▲2四桂と打った。
▲2四桂△4八桂成
△4八桂成で、自玉に読みを集中させたはず。
そして、広いはずの左辺に逃げる変化が詰むことを察知した。
▲6七玉は19手、▲5七玉は21手で詰みになる。
(変化図1)
▲6七玉 △5八角 ▲7八玉 △6七銀 ▲同 銀 △同角成
▲同 玉 △7七金 ▲同 玉 △7九飛成 ▲7八歩 △8六金
▲同 玉 △8八龍 ▲8七歩 △7五金 ▲9六玉 △8五銀
(変化図2)
▲5七玉 △5六銀 ▲同 玉 △6五銀 ▲同 歩 △3六飛成
▲4六馬 △4五角 ▲6六玉 △4六龍 ▲7七玉 △7六龍
▲同 玉 △7五金 ▲8七玉 △8六金打 ▲8八玉 △7六桂
▲9八玉 △8七角
先手が銀を渡したことで、自玉に詰めろが生じていたのだ。
▲同玉△5八金▲3九玉△3八金▲同玉△4九角
まで、150手で三浦九段の勝ち
逃げると詰むために成桂を取ったが、詰将棋のように、金二枚が放たれた。
投了図以下は▲2八玉△2七銀▲1七玉△1六銀成▲2八玉△2七成銀▲2九玉△3八角成 までの詰み。
竜を抜き、さらに後手玉の詰みに働いていたはずの馬が、自玉の唯一の逃げ場を塞いでいた。
結果だけいえば142手目△4一玉の局面で、後手玉には31手の詰みが。先手玉には21手の詰みが生じていたのだ。
もし先手玉が分かりやすい詰めろだったなら、豊島八段は開き直って▲3三桂を打ったと思う。打てば手順は長いが、1手指すごとに60秒の考慮時間がある。おそらく詰みを読み切れただろう。
ただそれは結果論でしかない。
ギリギリ詰むか詰まないか読み切れない手順を選ぶよりも、必至を掛けた方が良いと判断したのだ。
60秒に詰まった勝負のアヤは、単なる悪手という言葉では表現できないものがある。
人間の勝負の面白さが詰まった終盤だった。
本局の結果が与えた影響は大きく、「将棋界の一番長い日」での6者プレーオフと、三浦九段の残留につながった。
三浦九段は今期、棋聖戦では挑戦者決定戦に進出、竜王戦では準決勝まで進んだ。そしてA級順位戦は3連勝。トップ棋士としての活躍をみせている。
昨期はドラマの連続だったけれど、すべてが明るい話題だったわけではない。
ただ苦境の中で、諦めることなく指し続けた三浦九段は「強い」という表現が一番ピッタリだと思う。
(了)