とある事務所の将棋紀行

将棋の好きなアイドルが好き勝手に語るみたいです。

新田美波の定跡解説  矢倉91手組ができるまで

 

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「ミナミ、ちょっといいですか?」

 どうしたの?アーニャちゃん

「アー、矢倉の勉強をしていたのですが、これを見てくれますか?」

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 うん?…矢倉91手組だね。これがどうしたの?

「ダー、そうですが…これ、91手も先まで定跡ですか?ヴィリデューカ…変化できなかったのですか?」

 うーん、そうだね…。ここに至るまではいろいろあったけど、ここで説明するには用意も時間も足りないかな。

「そうですか…」

 少なくとも、盤と駒を用意して実際に――あ、プロデューサーさん、どうしたんですか?
 ……『今度の企画はそれにしましょう』?

「シト、どういうことですか?」

 

~~プロデューサー説明中~~

 

 つまり他の事務所のように将棋で何か企画を…と、ネタを探していたんですか。

「いい考えですね。ミナミにレクツゥィア…講義してもらいましょう!」

 アーニャちゃん、いくらなんでもそれは…。私は大学生だから、講義を聴く側だよ?

「アーニャ、ミナミの講義、聴きたいです。ダメ、ですか?」

 いや、ダメじゃないけど…。

「じゃあ、やりましょう!」

 そんな強引に…ってプロデューサー!『グラビアの衣装で講義しましょう』とか、やめて下さい!アイドルは、コスプレが本業じゃないんですからー!

 

(数日後、事務所の1室にて)

 では、講義『なぜ矢倉91手組は生まれたのか』を始めたいと思います。

「パジャールスタ、よろしくお願いしますね、ミナミ」

 こちらこそ、お願いするね。アーニャちゃん。

 こんな風に教えるのって初めてだから、ミスコンより緊張しちゃうな。

「ミナミ、今日は先生です。堂々としていいですね」

 そうだね、がんばろう!

 

 最初に『矢倉91手組』って、『先手4六銀・3七桂戦法』の定跡ってことは分かる?

「ダー、矢倉で1番有名だと思いますね」

 そうだね、実戦例も一番多いんじゃないかな。

「パツシィー・アーンゲル…堕天使のスターリ…鋼の刃の活躍を…」

 アーニャちゃん、蘭子ちゃん語とロシア語を混ぜるのやめよ?

「ランコも将棋、強いですね。熊本弁、教えてもらいました」

 …続けるね。この局面が重要なテーマになるの。

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 ここまでにも沢山の変化があるのだけど、何冊も本が書けちゃうぐらい大量に存在するから省略するね。

 方針としては後手は角で先手を牽制して、先手はそれを避けながら攻撃の準備をしているところ。

「ここから、どうするのですか?」

 ここで、後手の指し手はほぼ2通りだね。…ちょっとホワイトボード使うね。

 

・△8五歩…先手玉への圧力をかける手。矢倉穴熊に潜られる可能性も。

・△9五歩…穴熊にするなら端攻めも見せる。ある意味欲張りな手。

 

 前者なら、難しくはあるけれどが穴熊の▲9九玉が遠くて、後手が苦労しやすいかな。

「『穴熊穴熊してる』ですか?」

 アーニャちゃん、それどこで覚えたの?

NHK杯ですね。イッスリードベーニャ…勉強になります」

 穴熊棋士にとっても厄介なもので、矢倉の穴熊は特に普通の矢倉崩しが効かない場合が多いの。普通の矢倉なら詰めろになる筈の手が詰めろじゃなくなったりね。「王手にならない」から。

「パニャートナ、なるほど。だから穴熊を避けたいのですか」

 先手の手を制限する意味でも、△9五歩も妥当ね。後手からの端攻めがあるから、先手は穴熊に組めないの。
 でもここで先手が攻めようと上の図から▲2五桂とすると、△4五歩と突かれて以下こんな感じで…銀を取られて馬が作られて先手が好ましくないと言われてるのね。
 これはこれで、結構難しいんだけどね。

 

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(左から、▲同銀△1九角成▲4六角△同馬▲同歩△5九角▲3七角△同角成▲同飛△1九角▲3八飛△4六角成)

 

「では、どうするのですか?」

 ここで手待ちしたり、色々な試行錯誤があったんだけど、45手目▲6五歩が「宮田新手」で定跡が一気に進歩するの。
 これが平成14年…もう10年以上前のことなんだけどね。

「シト、自分から囲いを崩すのですか?プラーウダ リー エータ?」

 ちゃんと説明すると長くなるけど…、△8五歩▲2五桂△4五歩から同じように進めると、途中で▲6六角と王手で角を打てるのね。

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 これが厳しくて、合駒が効かないから△1二玉しかないけど▲1五歩で敗勢になるの。

「ンー、厳しいですね。ミナミにめちゃくちゃにされてしまいます」

 …確かに盤の後手側にアーニャちゃんがいるけど、将棋の話だからね?

 変化はあるけど、△4五歩と▲6六角の相性が悪い…と言えばいいのかな。

 

 ……でも宮田新手に△6四歩も先手に歩を渡しちゃうから上手くいかなくて、後手も固めて待つことになるのね。▲3五歩から仕掛けてこうなるの。

 

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 で、この▲1五歩を取るか取らないかが重要なんだけど…。

「どちらがいいのですか?」

 

 うーん、この形の流れをおおざっぱに説明するとね、(ホワイトボードに書く)

 

「△同歩」期~素直に応接する。しかし、先手の攻めを振りほどくのは容易でなく、別の手段を模索。

「△3七銀」期~銀のクリンチ。ここから91手組へと発展していく。

「新△同歩」期~明快な結論は出ず。

 

 最後は結論があいまいだからあまり触れないけど、こうなるかな。

「シト…△同歩が大変なのですか?まだまだ難しく見えます」

 うん、大変だよ。実際、「結論らしきもの」が出るまで沢山の実戦例があるしね。

 ▲1五歩△同歩に▲6四歩が宮田新手のもう一つの狙いで、▲同角で角を近づけておくのね。
 そうすると、飛車を走って▲6五飛と展開する手が生まれるの。

「角を呼び出したから…ですね」

 そう。後手も反発してこんな感じ。先手の端も怖いけど、ここで▲1二歩と叩く新手が出るのね。(羽生ー木村戦)

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(▲1五歩以下、△同歩▲6四歩△同角▲3五飛△2四銀▲6五飛△7三桂▲6六飛△9六歩▲同歩△9七歩▲1二歩)

 このタイミングだと取るしかなくて、その後攻め合ったときに先手の端攻めが厳しくなる。実際、この後▲1三歩が決まって先手が攻め勝ってるね。

 この辺りから普通に受けていては勝てないという、認識が広まった感じかな。変化は色々あるけれど。

「ミナミの攻め、厳しいです。息をつくひまもないですね」

 将棋、将棋の話だから!

 ……で、91手組への道△3七銀が出てくるの。アーニャちゃん、この手の狙い、分かる?

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「アー、飛車をいじめてますね。ミナミの大切なものが取られてしまいそうです」

 アーニャちゃん、言い方…。まあ、飛車をいじめながら先手の桂馬も狙っている手だね。

 △3七銀が出た後、後手が何連勝もするのだけど、その流れを変えて91手組のベースを作り上げた対局があるのね。それが羽生―渡辺戦、しかも3局!

「なんだか、すごい話です…」

 羽生―渡辺戦は、矢倉の定跡を作りだした名勝負だと思うよ。

 先手は忙しいのだけど、ここで羽生さんが▲1五香の新手を出すの。駒損だけど、攻めが続けばいいっていう発想。

 対局自体は、後手の反撃に会って負けちゃうんだけど…。

 新手って、必ずしも結果が出るわけじゃないのよね。

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「そうなのですか…」

 でも、それで終わる人じゃない!今度はNHK杯戦準決勝で同じ形に。飛車を見捨てて攻め続けて、先手の快勝!

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「スパシーバ!」

 でも、後手も改良手順を研究して、1年後、また同じ組み合わせで、同じ戦型に!

「ハラショー、ドラマみたいです」

 棋士の世界はドラマばかりだよ、アーニャちゃん。

 渡辺さんも後手で研究してきたみたいだけど、先手もそれは同じ事。先に新手を出したのは、去年勝った羽生さんの方だったの。

 その後の指し回しも見事で、羽生さんがNHK杯優勝、名誉NHK杯の称号を得るのね。終盤の金合い…で覚えてる人もいるんじゃないかな。

「ニェート。ですがミナミ、これと91手組は違いますね」

 それはね、この3局でかなり定跡が進んだのだけど、研究はずっと続いていったのね。そこで、途中のここで羽生さんは馬を逃がしたんだけど「▲3三馬と切ったらどうなるのか」ということになったの。

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「ダーティシトー!大駒が全部なくなってしまいます」

 うん、このあと、飛車は取り返せるんだけどかなりの駒損の攻めになるね。
 飛車を取って、打って、龍を作ってこの局面。

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 これが91手目になるの。アーニャちゃんが見せてくれた局面と一緒になるでしょ?

「ほんとです。でも…後手の駒台がすごいですね。これで先手勝ち、なのですか?」

 一応、そうらしいとは言われてるけれど…この形って、

『先手が最強の攻めをして、後手が最強の受けをした結果』

 だから、まだ難しいところは沢山あるのね。

 後手は現状詰めろ。上に逃げだせば勝てるんだけど、それが難しいのね。具体的には△4三金と逃げ道を開けると、▲4一竜から攻めが続くの。 決め手はA級の屋敷―渡辺戦で、後手が一方的に寄せられてしまったことかな。

 このときに重要なのが、先手玉だね。ずっと攻めだけしてきたから詰みどころか、早い寄せがないの。△8六桂が詰めろみたいだけど、そこから一方的に先手が寄るわけじゃないから…。

「恐ろしいです…」

 ほんと…固くて、攻めも激しくて参っちゃうよね。

「ミナミ…将棋の話ですよね?」

 ん?…そうだよ?

 とにかく、先手は「確実に寄せれば勝ち」だから、分かりやすいのね。
で、どうやら「先手勝ち」らしいという見解に落ち着いたという経緯かな。

「なるほど…そういうことだったのですか」

 でも、屋敷―渡辺戦は12年のことだから、宮田新手から10年経って、ようやく一つの大きな山を登ったって感じかな。

 ここまでにも変化は沢山あって、△2六銀不成とか、△3八香とか…実戦例も山のようにある。これが絶対の手順じゃなくて、飽くまで一例としてみておくといいかもね。

「よくわかりました。ミナミ、ここまでよく知っていますね」

 …私は、実戦とか将棋世界とか、色々なものをみてるだけだから。定跡は、棋士が真理を追い求めて作った努力の結晶だよ。

 従来の手順が否定されて、どんどん新しくなっていくけどね。
 アーニャちゃんも、興味がある戦型は棋書を買ってみるといいと思うよ。難しい日本語は、私が教えるから。

「分かりました。ミナミはやさしいです」

 でも…

「シトー?」

 今の実戦ではこの形の大元、『4六銀・3七桂戦法』そのものがほとんど出なくなっちゃったの。

 ▲4六銀に△4五歩と突く「△4五歩反発型」が優秀とみられて、先手が別の作戦をとることになったのね。

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 もう、必要ない定跡になっちゃったのかな…。

「そんなことないです、ミナミ」

 …え?

「ミナミ、さっき言いました。『定跡は棋士の努力の結晶だ』って。今日みた手順の中にも、いろんなジフノロギー…技術をみることができました。それは、無駄じゃないです。」

 …そうだね。ありがと、アーニャちゃん。

「それに今の評価が変わって、また復活するかもしれませんね。アーニャ、分かりました。将棋の変化は広いです。星の数くらいに。分かるのは、ほんのひとかけらです」

 うん。本当にそうだね。

 …どっちが教わってるのか、分からなくなっちゃった。ふふっ。

 じゃあ、今回の講義はこれで終わりにするね、上手くできたかは分からないけど、ありがとうございました。

「スパシーバ、ありがとうございました。ミナミ、また教えてくれますか?」

 うーん…また機会があったら、かな。私自信がよく理解してないと教えられないしね。

「そうですか…でも、対局はいいですよね?」

 うん。今日はこれから時間もあるし、実戦で練習しようか。

「ダー、楽しみですね」

 

~翌日~

 

「おはようございます!ナナ、ピーナッツ入りのチョコ持ってきました!」

「ズドラーズドヴィチェ。おいしそう、ですね」

 あ、菜々さん、おはようございます。

「そういえば、お二人は昨日何をされてたんですか?何やら、会議室から荒い息遣いが聞こえてきたんですけど…」

 あ、それはですね…。

「アー、ミナミに攻められてましたね。タテからヨコから、息をつく余裕もなかったです。おかげで、アーニャの大切なものがメチャクチャにされてしまいました」

 あ、アーニャちゃん?

「あ、そ、そうなんですね!ナナは17歳ですけど、大人の世界には理解がありますから…そ、それではこれで失礼します!」

 ちょ、ちょっと菜々さん、誤解ですー!

 

(了)

参考対局

羽生―木村戦(第77期棋聖戦

羽生―渡辺戦(第23期竜王戦第2局)

羽生―渡辺戦(第60回NHK杯準決勝)

羽生―渡辺戦(第61回NHK杯決勝)

屋敷―渡辺戦(第71期A級順位戦

 

参考:91手組手順

▲7六歩 △8四歩 ▲6八銀 △3四歩 ▲6六歩 △6二銀 ▲5六歩 △5四歩
▲4八銀 △4二銀 ▲5八金右 △3二金 ▲7八金 △4一玉 ▲6九玉 △5二金
▲7七銀 △3三銀 ▲7九角 △3一角 ▲3六歩 △4四歩 ▲6七金右 △7四歩
▲3七銀 △6四角 ▲6八角 △4三金右 ▲7九玉 △3一玉 ▲8八玉 △2二玉
▲4六銀 △5三銀 ▲3七桂 △9四歩 ▲1六歩 △1四歩 ▲2六歩 △7三角
▲3八飛 △2四銀 ▲1八香 △9五歩 ▲6五歩 △8五歩 ▲2五桂 △4二銀
▲3五歩 △同 銀 ▲同 銀 △同 歩 ▲1五歩 △3七銀 ▲3九飛 △1五歩
▲6四歩 △同 角 ▲1五香 △同 香 ▲6五銀 △2六銀成 ▲6四銀 △同 歩
▲3五飛 △2四銀 ▲1三桂成 △同 桂 ▲1四歩 △3五銀 ▲同 角 △1二歩
▲1三歩成 △同 歩 ▲7一角 △2五成銀 ▲4四角上 △同 金 ▲同角成 △3三銀
▲3四桂 △1二玉 ▲3三馬 △同 金 ▲2二金 △同 飛 ▲同桂成 △同 玉
▲8二飛 △3二歩 ▲8一飛成

まで、91手