とある事務所の将棋紀行

将棋の好きなアイドルが好き勝手に語るみたいです。

安部菜々の一人語り  永世竜王までの道のり、竜王戦30年史(前編)

 

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 はーい、ウサミン星から電波を受信してやってきました安部菜々ですっ!キャハ☆あ……ちょっと引かないで下さい、まだテーマにすら入ってないですからー!


 はい、というわけで今回は羽生さんと竜王戦についてのお話です!竜王戦は今期の七番勝負で30期、羽生永世竜王(資格保持者)の誕生となったわけですけど、これまでの戦いを振り返るにはいい機会かなーと思ったんです。2月13日は羽生善治竜王井山裕太七冠の国民栄誉賞の授与式でしたし、1996年2月14日は羽生七冠が誕生した日!ということで、ウサミン星のデータベースから羽生さんを中心に、お気に入りの対局を紹介していきたいと思います。よろしくお願いしますね、キャハ☆

 さっそく始めたいんですけど、30年分はあまりにも長くてですね……2回に分けることにしました。1クール目はナナが担当しますけど、2クール目は別のアイドルにお願いしてあるそうなので、楽しみにしててくださいっ!

 

第1期 竜王戦の誕生

 竜王戦の前は「十段戦」という棋戦があってですね、これが発展的解消をして1988年度に竜王戦が生まれました。羽生さんは十段戦にも出ていましたけど、本当に新人の頃だったので十段リーグの出場経験はないまま竜王戦へと移行しています。

 羽生五段(当時)は4組を優勝し、決勝トーナメントに進出。……この時点で十分すごいことなんですけど、3組2位の島六段(当時)に敗れてますね。島六段はそのまま勝ち上がり、大山名人も下して七番勝負へ進出します。

 第1期は少し変則的で、十段位を持っていた高橋道雄十段は反対側の山で準決勝からの登場となっていました。しかし1組2位で勝ち上がった米長九段に敗れ、七番勝負は米長―島 戦となります。決勝戦が七番勝負というのは、叡王戦でもこれから行われるところですねぇ。30年ぶり、というわけです。

 七番勝負は島六段の4勝0敗、意外にもストレートで終幕。アルマーニのスーツを着てタイトル戦を指したエピソードなどが有名ですね。「島研」で有名な島六段ですけど、翌年はその島研対決となります。

 

第2期 羽生竜王の誕生

 3組を優勝した羽生五段は南王将、大山十五世名人、挑決では森下五段(当時)を下して初のタイトル挑戦となります。デビューからタイトルを期待されていた羽生さんですけど、ここまでタイトル戦に絡んだことはありませんでした。七番勝負はもつれにもつれ、1持将棋を含め第8局まで行われました。結果は4勝3敗1持将棋で羽生六段の勝利、初タイトル竜王位を、19歳にして奪取!とにかく、昔から羽生さんは強かったのです。

 これは当時最年少の記録で、のちに屋敷さんが18歳で棋聖を奪取して更新していますね。藤井五段がそれよりも早くタイトルを獲るかも注目されるところで、ナナよりも若いタイトルホルダーの可能性も……と、話が脇道にそれました。次にいきますよ!

 

第3期 光速流の登場

 翌年に挑戦者になったのが、谷川浩司二冠でした。このときすでに棋界の第一人者となっていた谷川二冠は「光速流」と呼ばれる終盤術で羽生竜王を圧倒します。例えば第3局のこの局面。羽生竜王の勝負術で怪しくみえますが、▲6一飛が光速流、最短の一手です。

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 ……これ、長手数の詰めろになってるんですよ。受けると▲6七飛成で金を取られますから△8八銀と必至を掛けましたけど、▲3一飛成△同玉▲5三角以下変化は多いですが後手玉は捕まっています。
 こういった読みの正確さ、深さが光速流のベースになっていますね。羽生竜王は1勝4敗で失冠します。

 

第4期 1組から2組へ

 第4期で羽生さんは1組で脇七段(当時)に負け、敗者復活でも南王将に敗れ2組へ落ちることになります。このときの対局は、羽生さん勝勢からの大逆転負け。「3手頓死」と呼ばれるものですね。

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  △2七桂が大悪手で、▲2九銀で後手投了。以下は△1九玉▲2八銀引までの詰みです。かえて△7六角なら「先手玉が」詰んでいました。

 挑戦者は森下さんでしたが、4勝2敗1持将棋谷川竜王の防衛となっています。

 

第5期 復位

 2組を勝ち上がった羽生さんは挑戦者決定戦で佐藤康光六段(当時)を破り、七番勝負の舞台へ戻ってきます。第1局の△5七桂、第6局の△6九馬など谷川光速流の名局もある期なんですけど……フルセットの激戦の末に、4勝3敗で羽生さんが奪取しました。

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(歩を成れる地点に桂打ちが好手。先手は飛車と銀を渡す展開ですけど、△6八銀!からの詰みが生じています)

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(▲4四歩~▲4三歩成が詰めろにならない、読み切りの絶妙手)

 この時期のお二人の対局は、矢倉と角換わりが圧倒的に多いです。この時代はまだ一手損角換わりも、横歩取り△8五飛も、ゴキゲン中飛車も指されてないですからね。

 ナナはこの頃の棋譜が大好きなんですけど……「知らない」って言われることもあって、ちょっと寂しいですねぇ。

 

第6期~第8期 羽生―佐藤 3期連続七番勝負

 

 翌年の挑戦者は、佐藤康光六段。2期連続で挑戦者決定戦まで勝ち上ってきたわけで、当時からかなりの実力者だったことが分かると思います。そして七番勝負は、4勝2敗で佐藤六段の奪取。1回目のタイトル戦で羽生さんを下した人って、そうそういないんですよ。羽生世代の中では、2番目にタイトル獲得数が多い方ですからねぇ……。

 第7期は羽生さんが七番勝負に挑戦者として戻ってきて、リターンマッチを挑みます。4勝2敗で再奪取。このとき史上初の六冠王を達成しています。

 

 第8期は佐藤さんが挑戦者となって、3期連続の同一カードとなります。……当たり前のように挑戦者に名前が出てますけど、全棋士参加棋戦ですからね!?

 4勝2敗で羽生竜王の防衛。六冠を堅持するとともに、数か月後の王将戦も奪取し七冠を達成していますね。このときの第6局は米長流急戦の熱戦で、羽生さんがこのカードのベストワンの一局にあげています。

 

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(難解な攻防が延々と続いて、161手で先手の勝ち)

 

第9期 谷川九段のリターンマッチ

 

 挑戦者は谷川九段、三度目の羽生―谷川七番勝負です。

 この期で有名なのは、第2局、谷川九段の△7七桂ですねぇ。

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(いくつも駒が当たっている中で、駒台から桂を捨てた△7七桂が棋史に残る一手。どう応じても、先手玉への速度が速くなる)

 とにかく光速流が冴えわたって、4勝1敗で奪取。ここから数年は羽生さんが本戦に絡むことはありません。

 

 第10期は真田圭一六段でしたが、谷川竜王がストレートで防衛。

 羽生世代の台頭が目立ちますけど、その前は谷川さんの時代だったわけで……とにかく、谷川さんだってとてつもなく強い方だということは覚えておいてほしいですね。

 

第11期~藤井竜王の誕生

 1998年、第11期。将棋ファンがよく知るあの人の登場です。藤井猛七段(当時)。藤井システムを完成させた藤井さんの快進撃は止まりませんでした。谷川竜王相手に、ストレートで奪取!

 今のような藤井システムの局面になることは少なくて、居飛車側も試行錯誤しながら形を変えていたのですけど……とにかく「藤井さんの指す四間飛車」が強かったんです。

 第3局や第4局の終局図はこちら。穴熊左美濃が、姿焼きに近い状態ですね。

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 とにかく、序中盤で差がついてしまうんです。トッププロの対局で、これをやってのけたわけですからね!?未だにファンが多いのも頷けます。

 

 第12期は鈴木六段の挑戦を受けます。鈴木六段は振り飛車党で、石田流とゴキゲン中飛車を中心に指していましたが……藤井竜王居飛車を採用して、対抗型に持ち込みます!ゴキゲン中飛車に対する超急戦がタイトル戦で出たのもこれが初めてですね。

 藤井竜王は4勝1敗で防衛、そして有名なシリーズへ続くわけです。

 

 

第13期 一歩竜王

 

 挑戦者は羽生四冠。この七番勝負は、羽生四冠が居飛車穴熊を放棄します。

 

第1局 袖飛車      藤井勝ち

第2局 右銀急戦     羽生勝ち

第3局 地下鉄飛車    藤井勝ち

第4局 左美濃      藤井勝ち

第5局 棒銀       羽生勝ち

第6局 ▲4五歩早仕掛け 羽生勝ち

第7局 左美濃      藤井勝ち

 

 ……実は、船囲いの急戦で3勝していたんですね。勝ちにくいとしたものですけど、中終盤の正確さや勝負術が抜きんでているからでしょう。

 しかし左美濃などでは藤井システム調の玉頭戦に屈しています。有名な一歩竜王も、玉頭を攻めるための一歩が僻地にあった……という手です。

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(先手の攻めが切れかけた局面、繋ぐための1歩が8六にありました。30手前に突かれた歩です)

 

 このあたりは時代を反映している感じですねぇ。

 

第14期 三度目の復位

 翌期も、挑戦者決定戦に羽生四冠は進出します。……当たり前のように名前が出ていることに、感覚がマヒしそうですよ。この期の挑戦者決定戦は、木村一基五段(当時)との対戦。

 三番勝負の第1局では羽生四冠勝勢の終盤で、一手詰みを見逃して負ける「一手頓死」の大悪手を指しています。羽生将棋の中で、一番のポカと言えるでしょう。第4期の「三手頓死」も含めて、同じ棋戦で極端な逆転負けが2局もあるのは偶然とはいえ少し驚きです。

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横歩取り△8五飛から先手勝勢の局面、▲6四玉と逃げた手が大悪手。△6五飛までの一手詰で先手投了)

 しかしこの挑決は、第2局、第3局を連勝して羽生四冠が挑戦者となりました。
 ……やっぱり羽生さんは強かったです。

 

 本戦では4勝1敗で奪取。藤井システムへの対策も次第に生まれていった頃ですけど、やはり居飛車急戦で2勝しています。強い人は玉が薄くても勝てるんですね、真似できませんけど!

 

 

第15期 千日手入玉

 挑戦者は阿部隆六段。第1局は竜王戦恒例の海外対局で台湾で行われたのですけど、2連続千日手で決着がつかないまま帰国しています。
 他にも有名なのは、入玉模様の将棋で257手かかった対局があります。羽生さんの駒台に歩が14枚!他の駒も合わせて21枚もあるので、駒台に乗りきらないですよね……これ。初期局面より枚数が多いじゃないですか。

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(指せる手はたくさんありますけど、▲1六桂や▲3五金などの攻めを受けきることができないため、後手投了となりました)

 シリーズはもつれフルセットの末に、4勝3敗2千日手で防衛しています。カド番に強い羽生さんは、この頃からずっとという感じです。

 

 かけ足で15期分を追いかけましたけど、いかがでしたか?藤井竜王の誕生が20年近く前という事実にナナはショックを受け……じゃなくて!

 ここまでで竜王位の獲得は通算6期。あと1期で永世竜王の資格を得ることができる状況に、この時点でなっていたんですねぇ……。裏を返せば、ここからが長いってことでもありますけど。

 さて、ナナの昔話はここまでにして、次は今に至るまでの話を他の子にお願いしてありますので、楽しみにしててくださいね!

 お相手はウサミンこと安部菜々でした!ぶいっ☆

 

 

(了)

 

新田美波の定跡解説  居玉を活かす新山崎流

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「ミナミ、約束どおり、弟子にしてもらいにきました!」

……えーっと、どういうことかな?アーニャちゃん。

「最近、これが流行ってると聞きましたね?」

事務所のソファーに正座して、待ってたの?

「ダー、ミナミが来る時間は、いつも決まってますから」

隣に置いてあるランドセルは?

「アーニャのですね、3年前まで使ってました」

最後に一ついいかな……誰から聞いたの?それ。

「ヒナとナナとナオですね、イッスリードヴィニア……勉強になります」

……よく、分かりました。後で3人には言っておきます。
でもアーニャちゃんがそんなことしなくても、私、ちゃんと教えるよ?

「ずっと、ミナミのレクツゥイア……講義、ありませんでしたね。ちょっとだけ、寂しかったです」

そっか、全然できてなかったからね。……久しぶりに、やろっか。気になる形があるのかな?

「スパシーバ!これですね」

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あ、この形は……新山崎流だね。

「ダー、このごろ、居玉の将棋が多い感じがしますね。それで調べてみたら、昔流行った形にこれがありました」

大流行して、とても有名だった形だからね。

「でも、今は全然みなくなりました。……どうしてですか?」

えっと……色々な変化や積み重ねがあるから、一言では説明しにくいね。

準備するから、待っててくれる?

「ダー!楽しみです♪」

~~~(一方そのころ、虹色ドリーマー)~~~

 

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荒木比奈

「アーニャちゃん、ルックスは姉弟子寄りっすよね」

安部菜々

「銀子ちゃんには似てますけど、将棋を教えてもらうって目的からズレちゃいますよね」

神谷奈緒

「なぁ、今さらなんだけどさ……普通に頼めばよかったんじゃないか?」


~~~(数日後、事務所の一室にて)~~~


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さて、久しぶりに解説を始めたいと思います。今回のテーマは『新山崎流の狙いと対策の歴史』です。

「パジャールスタ、よろしくお願いしますね」


・新山崎流の狙い


まず、この新山崎流は『横歩取り』の局面ってことはいいかな?

「ダー!それと飛車がタカビシャ、ですね」

うん、後手の飛車が五段目にいるから、△8五飛戦法だね。横歩取りは後手の飛車と玉の位置で分けられるんだけど、新山崎流は『横歩取り△8五飛戦法・△4一玉型』のときに先手が居玉で戦う対策のことを言います。

「ンー、王様、囲いませんか?」

囲いといえるかは分からないけど、▲4八銀の一手だけ玉を固める手って言えるかも。それ以外は全部、攻めるための手だね。

「攻めばかり……ヴァチモア、どうしてですか?」

以前、ちょっと触れたことはあるけれど……横歩取りって、後手の3筋に歩が無いでしょう?先手はそこを攻めたいのね。後手はそれを受けるために、飛車を五段目に浮いて▲3五歩に△同飛を用意してるわけ。

「飛車のアバローナ……守備ですね」

そこに△4一玉からの「中原囲い」を組み合わたのが優秀な作戦で、△7四歩~△7三桂まで指せれば仕掛ける手段には困らなくなる。先手が普通に中住まいとかに組もうとすると、後手の攻めの方が早くなるのね。受けきるのは大変だし、後手の中原囲いは堅いから攻め合いもやりにくいし……。

「昔、大流行したとナナが言ってました」

うん、だから当時の先手は対策を求められてたわけ。後手陣の急所はやっぱり3筋で、玉も近いから、先手からすればどうしても攻めたい場所だったのね。そこで登場したのが、新山崎流。

「居玉が対策、ですか?」

囲いを省略して、攻めに手を回すことで3筋を突くチャンスを狙っているの。後手は△7三桂と跳ねて攻めたいんだけど……▲3五歩が成立するのね。

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「シト、飛車で取ってはダメですか?」

△同飛には、▲4六角で飛車と香車の両取りが掛かっちゃうから。

「パニャートナ、これは痛いですね」

この局面も、いろいろ模索されたみたいだけど……大駒の交換をすると、どうしても△3四歩や△2三歩といった手が厳しく残るから後手大変なの。

「3筋が後手の急所だから、ですね」

そういうこと。対して先手陣はというと……飛車を交換したとして、どこに打つかな?

「ンー……△2九飛くらいしかないですね」

一手しか囲ってないのに、金銀が防波堤になって簡単には崩れないの。場合によっては▲3九金で手番を握れたり、▲3九歩で固めたりできるしね。攻めが続くなら、この陣形はとても優秀ってことが分かって、大流行したわけ。

今では△7四歩を突いた局面は先手良しが定説かな。

「分かりました、ミナミを攻め倒せばいいんですね!」

合ってる……のかな?

 

 ・戦型の由来と、居玉

「ミナミ、『新山崎流』という名前は、指した人の名前ですか?」

そうだよ、山崎隆之八段(現在)のことだね。△8五飛戦法に対して、もう一つ「山崎流」って対策も指してた棋士だよ。

「パニャートナ、だから『新山崎流』なんですね!」

まったく違う指し方になるから、今回は説明しないけどね。

山崎八段は玉の囲いよりも攻めに手を掛けるのが好きな棋風で、その中で生まれた形かな。優秀って分かってからは、他の棋士もよってたかって研究して指してたよ。

「玉を囲わないのは、キケンですよね?」

囲いの堅さって、相手と比べるもの……相対的なものなのね。居玉は確かに危険だけど、相手陣をそれより先に崩せるなら、居玉側が有利になるの。ちょっと、難しい話だけどね。

「居玉も、良い玉になるってカエデから聞きました!」

楓さんのダジャレはともかく、最近の将棋に居玉が多いのも「相対的な堅さ」が理由の一つかな。居玉でも王手が掛かりにくかったり、攻めが続くなら仕掛けて良しって考え方が広まったよね。自玉が薄いことに変わりはないから、反動も怖いところだけど。

「準備してないと、攻撃には弱いですね。ミクも準備しないでスターゲイジパイを見て、果てました」

ニシンのパイのことね。みくちゃん、お魚嫌いだものね……。

 

・新山崎流、後手の対策

ここまで新山崎流の狙いをみてきたけど、将棋って一手ずつ交互に指すゲームだからこれで決まりとはならなくて。

次に、後手の対策をみていきます。今、あまり指されていない理由もここにあるかな。

「ダー、気になりますね」

いくつかの変化があるんだけど……図を用意するね。

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「ミナミ、これは?」

『変わりゆく現代将棋』のチャートを参考にしました。さっき解説したのは△7四歩の変化で……B図になるね。他の変化は分岐も多いから一つずつ、順番にみていくよ。

「ダー♪」

 

 ・後手の対策、△8六歩(C図)

まず後手は△7四歩を突くと、さっきの変化で先手の攻めが間に合っちゃうから、途中で動くことにするの。具体的には、△8六歩と合わせる一手。

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「ンー、これはどういう狙いですか?」

単純に、△7六飛と横歩を取って戦いに持ち込むのが狙いかな。後手の攻めが先になれば金銀を崩して居玉を咎めることもできそうだからね。

先手としても△7六飛は許せないから、▲3五歩と伸ばして飛車の横利きで受ける。△8五飛で伸ばした歩を狙うのも横歩取りでよくみる手筋だね。角交換をしてないから、▲3四歩には△8八角成で逆に技を掛けられるし。

「先手は、どうするのですか?」

強く▲7七桂と先手を取って、△3五飛に▲2五飛とぶつけるのが数多く指されてるね。

ここで取るか取らないかの二択になるんだけど……

(C図)

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・飛車を交換する変化(D図)

 

△同飛▲同桂が角に当たるけど、手順に△1五角と先手玉を睨みながら飛び出すのが後手の切り返し。

「幽霊角、ですね。コウメみたいです」

……小梅ちゃんは幽霊じゃないからね?あの子の方ならわかるけど。

先手も黙っていられないから、▲2三歩と叩いて攻めの姿勢を貫くの。

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「ニチヴォー、△同銀とは、取りたくないですね」

▲6五桂で先手の角道が通るからね。
ここで△3三銀と逃げたのが王座戦の山崎―羽生 戦。この形が見直されるきっかけにもなった一局だよ。

「シト、そこだと桂馬に取られてしまいますね?」

それは後手も分かってるけど、桂を持てば△3六桂が厳しいって狙いだね。だから先手も取らずに▲8五飛として、以下先手が良くなるんだけど……。対局の結果は後手、羽生王座の勝利。

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(△2三歩▲3三銀△8五飛▲4四銀としてこの局面。ここで▲3三歩なら2枚の歩の拠点が厳しく先手良しとされたが、実戦は▲6五桂と跳ねたため△2九飛~△4八角成が厳しく後手の勝ちに)

 

「逆転、しましたね?」

対局の結果と、定跡の評価は別っていういい例かな。

この対局をきっかけに研究が進んで、▲2三歩には△同金と取って△2四歩▲同角と進める形が調べられるようになるのね。悪形だけど、ギリギリバランスが取れてるの。

「角がバックすると、先手玉からラインが逸れますね?」

受けるためには仕方ないって手かな。
先手の狙いは▲8二飛と打って、▲6五桂で角筋を通しながら▲5三桂成。後手は攻め合いにして、△2九飛―△3七歩で金銀を崩しにかかる。これが名人戦の羽生―三浦 戦で指されてるね。

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「ンー、金で受けてはダメですか?」

▲3九金は飛車に当てて先手を取れるんだけど、△1九飛成▲5三桂成に、△5二香って受けがあるの。攻めを続けるには▲6二成桂しかないけど……ここで△3九竜の王手!

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「ダーティシトー!?竜を捨てますか?」

これを▲同銀と取ると、△5八金▲同玉△5七角成で、先手玉は詰み!

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「ウ―ジャス……!ズレたはずの角が、決め手になってます」

当時の観戦記に書かれてた変化だけど、この戦型がとても深く研究されていたってことでもあるね。

これがあるから、先手も受けずに▲5三桂成と一気に攻め合いになって……お互いに金銀をボロボロ取り合って、この局面。△6二金が疑問手で以下先手が勝つんだけど、感想戦で△4二金とすれば後手有望とされたのね。

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(△3七歩以下▲5三桂成△3八歩成▲6二成桂△4九流▲6八玉△4八竜▲7七玉)

「それなら、後手はこの手順を選べばいいですね?」

でも、それすらも研究でひっくり返っちゃった。阿部健―及川 戦で、△4二金に▲9六歩という手が出たの。

「ンー、端歩ですか?……どういう意味ですか?」

次に▲9七角と出た手が、後手玉を睨んでとても厳しいって意味なんだけど……争点から遠く離れた場所の歩を突くって、相当思いつかない手だよ。

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(▲7七玉以下△4二金▲9六歩△5七竜▲9七角 茫洋とした端歩だが、4二の金を狙った手が厳しく受けにくい)

角のラインをが受けにくくて、攻めが続いて先手の勝ち。
以降、D図は先手良しって見解が広まって、後手はまた別の形を選ぶことになるの。

「とてもトルードヌイ、難しいです……」

プロの対局だから、本当に微妙な差の話になっちゃうね。
要約すると、飛車交換をしたときの▲2三歩に対して、△3三銀も△同金も先手の攻めが続くって感じかな。


・飛車交換を拒否する変化(E図)

 

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飛車をぶつけたこの局面まで戻るね。さっきは△同飛と取って悪くなったから、取らない手が主流になっていくの。

「手番は先手ですね?」

うん、▲4五桂から攻めが続くから敬遠されてた順なんだけど、飛車交換が後手厳しいと分かって掘り下げられていくの。

2枚の桂を跳ねて、後手も強く△6四歩と催促した局面。

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名人戦第7局 森内―羽生 戦が初出だね。大切なのは△8七歩と打って、金を浮き駒にしておくこと。この利かし一つで、後の変化に大きな差が出てくるの。

「ここで先手は、どう指しますか?」

自然なのは桂馬を成って、銀と交換した後に▲5四銀と角をイジメる順。ここも重要なところになるね。

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(△6四歩以下▲5三桂左成△同銀▲同桂成△同角▲4五銀△3五飛▲5四銀)

「ンー、角を逃げるしかないですね?」

実戦は自然に△7一角と引いたんだけど……▲8二歩の追撃があったのね。桂馬を取った手が、角にも当たっちゃうから厳しくて。△8五飛と切り返しても以下こんな感じで……浮いてたはずの金まで守られると、後手が手を出せなくなってるのが分かるかな?

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(先手の▲4三銀成が厳しく、攻めが続く形)

「ダー、スキがなくなってますね」

実戦は先手の快勝で、森内九段が名人を奪取したの。

ここでは△6二角と一つ引く手が正解。▲8二歩が先手にならないから、先手の攻めが続きにくいの。もし▲6三銀成とすればそこで△7一角……成銀の位置が玉から遠くなってるでしょう?

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(銀をおびき寄せれば、▲4三銀成がなくなる)

「ダー、銀が遊びそうです」

これなら、後手も攻め合いに持ち込めそうだよね。

△8七歩▲同金を利かせてるから、飛車を取って△8九飛と打つ攻めが効果的になってるのは後手にとって大きなプラスになってるの。

以前の変化は右側の金銀を崩しにいってたけど、この形は左側の金銀を崩すのが急所かもしれない。先手は右辺に逃げづらい格好だからね。

 

 

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△6四歩と突かれた手に、桂馬を成るのがダメだとすると……先手の手はかなり限られてくるの。そこで指されたのが▲8二歩。

「桂馬を取るつもりですね?」

うん、今期竜王戦の1組決勝でも指された手だね。でも桂馬を取って、△5四歩と突いたときに……

 

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(▲8二歩以下△6五歩▲8一歩成△3三桂▲4六歩△5四歩)

角の利きが通って、先手の左金が狙われてるよね。

「『金はナナメに誘え』ですね。大事なマクスィマ……格言です」

先手は攻めるしかないけど、▲1五桂くらいしか手がかりがなくて……△4四角以下、やっぱり左辺を攻められて。

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(上図から▲1五桂△1四金▲2三歩△3一銀▲3三桂成△同角▲同角成△同飛▲9一と△4四角 
で両取りが掛かった)


この後も色々な駆け引きがあったけど、後手の勝ち。
感想戦で改善案は示されなかったし、先手が少し苦しい変化に行きついちゃった感じかな。

「ここがゴール、ですか?」

今のところは、そうかも。
△8六歩から後手が動いて、飛車交換を拒否したとき……この局面に行きつくわけで。先手大変だと新山崎流そのものを選べないからね。

「だから、最近は指されなくなりましたか?」

うん、今は序盤から持久戦を目指すことが多いかも。

 

・まとめ

大筋の流れをみてきたけど、居玉でも対応がとても細かくて、難しい戦型だってことが分かってもらえたかな?

「ダー。囲ってないのに、チェック……王手がきませんでした。薄いのに、遠かったです」

まとめると、

・新山崎流は3筋を攻めるための陣形

・居玉ながら大駒の交換、攻め合いに強い

・後手は△8六歩から動いて、左辺を攻めるのが対策

こんな感じかな。

新山崎流が大流行したのは2010年前後。その後、こういった3筋攻めを緩和する意味で△8五飛・△5八玉型が生まれたり、△8四飛型で新手が出ることになるのね。

いろんな形が生まれたから、△8五飛戦法の数自体はかなり減ったと思う。でも、ハッキリとした結論が出てないのが現状かな。

「今だと、先手は何を指しますか?」

▲7七角と上がって、中原囲いや中住まいかな……それはそれで難しいけれど。
もっと前に、勇気流や青野流に組んで先手から形を決めちゃう序盤も増えたから、主流じゃなくなったっていうのが正しいかもしれない。

 

 

・美波の研究

一つ、気になってる手があってね。今さっき後手良しと解説したこの局面なんだけど……。

「シト、何でしょう?」

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ここで▲4六歩と桂馬を支える手が△5四歩との交換が損になってるのね。

「ダー、駒の働きが違いますね」

手抜いて▲1五桂と打ったら、どうなるのかなって……。

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「ンー、△1四金ですね?」

うん、そこで▲2三歩△3一銀▲3三角成として……精算して▲5五角。これなら、▲4六歩も△5四歩も指さないで戦いになるでしょう?

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(△5四歩がないため▲5五角と打てる。しかし後手の応手も複数あって形勢不明)

この局面で、後手は歩切れなのも大きいと思うの。香車を取って▲6四香の狙いもあるし。

「ンー、先手の攻め駒が、捌けてますね。悪くなさそうです」

ちょっと調べただけじゃ成否が分からなくて、「気になってる手」としか言えないけど……。

もし、これが成立しているなら……新山崎流は未だ有力ってことになるね。

 

「将棋、難しいですね。分からないところ、まだまだたくさんあります」

分からないことにキリがなくて、断言できないのが解説する側としては大変だけどね。

 

さて、今回はここまでにしよっか、お付き合い、ありがとうございました!

「バリショーエ スパシーバ!ありがとうございました、ですね」

 


(事務所の廊下にて)

 

荒木比奈

「あ、美波さんにアーニャちゃんじゃないっスか。」

あ、比奈さんおはようございます。

「ドーブラエ ウートラ!おはようございます、ですね」

比奈

「二人で楽しそうっスね

「ダー、ミナミとお付き合いしてましたね」

ちょ、ちょっとアーニャちゃん!?

比奈

その話、もっと詳しくっス!」

「アーニャの攻めを、手取り足取り面倒見てくれました!」

将棋、将棋の話だから!

比奈

「心配しなくても分かってるっスよ。勘違い系のラノベじゃないっスから。
それはそれとして、そのシチュとセリフを新刊のネタに――」

 

ダメー!!!

 

 

(了)

 

 

参考対局

 

第57期王座戦第3局  山崎―羽生 戦 (2009年9月4日)

第68期名人戦第2局  羽生―三浦 戦 (2010年4月20、21日)

第69期名人戦第7局  森内―羽生 戦 (2011年6月21、22日)

第41期新人王戦    阿部健―及川 戦(2010年7月9日)

第30期竜王戦1組決勝 羽生―松尾 戦 (2017年5月15日)

二宮飛鳥と観るセカイ  (後編)第30期竜王戦七番勝負

 

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 新年明けましておめでとう。今年もよろしくお願いするよ。去年から引き続きこの企画を担当させてもらうわけだが、年をまたいでしまうとはね。年末はみんな忙しかったし、仕方ないところではあるけど……少しばかり気になっていたのは確かさ。まぁ、蘭子と初詣もしてきたし、ここから新年の第一歩を踏み出すこととするよ。

 着物の柄が渋いって?よく着ている服の色にしたのだが……。

 後編と銘打ってはいるが、前編は予選と決勝のトーナメントについて記述したものだから、この記事のみを読んでも問題はない。ただ読んでもらうことはやぶさかではないので、置いておくよ。

二宮飛鳥と観るセカイ (前編)第30期竜王戦トーナメント - とある事務所の将棋紀行


 さて、今回は本戦を語るとしようか。羽生棋聖にとっては7年振りの大舞台だ。待ち望んだファンも多く、また永世称号への期待も、もちろんあった。順風満帆とは、表現し難い要素もあったのだけどね。

 

第30期竜王戦 七番勝負

渡辺明竜王羽生善治棋聖

 
 七番勝負を語る前に、対局者の肩書に注目してほしい。竜王戦が始まったときには三冠、挑戦を決めたときには二冠だった羽生さんのタイトルが、『棋聖』のみになっている。七番勝負が始まる9日前、王座戦第4局で中村太一六段に敗れて王座を失っていたんだ。一冠に後退したのは13年ぶりで、そのコンディションを不安視する声聞かれたね。王位戦の菅井七段や棋聖戦の斎藤七段も含め、力のある若手が挑戦者になっていたから……勝敗がどちらに転んだっておかしくない状態は、ずっと続いていたのだけれど。人間というのは、数字によって受けるイメージからどうしても逃れられないらしい。
 そしてこの二人のタイトル戦は、意外なことに2日制において羽生さんが勝利したことはなかった。竜王戦はかの3連勝4連敗を含めて2回、また王将戦でもフルセットで挑失している。勝負は始まってみないと分からないが、だからこそ過去の蓄積を見て余計なことを考えてしまうのだろう。

 しかし何を考えようとも時間は等しく流れるもので、戦いは静かに幕を開けた。

 

第1局(10月20日、21日)

 

 本局の対局場は能楽堂で、しかも公開対局で行われたそうだ。竜王戦での公開対局は、奇しくも第2期竜王戦――羽生棋聖が初めて竜王位を奪取した期以来らしい。常に観衆が見守る中で指すというのは、ごく一部の棋戦のみで行われていることだ。ボクたちは観客がいる中でステージに立つのが常だから、そのあたりは大きな差異があるね。無論、対局室の中継は公開の有無にかかわらず行われているから、多くのファンが見守っていることに変わりはないのだけど。竜王戦はパリやハワイで対局したこともあったし、異色の開幕は恒例行事なのだろうか?

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 羽生棋聖が先手番となって、序盤は相掛かりに進んだ。江戸時代から指されている戦型だが、最近は飛車先を切る手を後回しにする傾向があるようだね。先に飛車の位置を決めてしまうことは、自分の手の内を晒すことに他ならない。互いの端歩と右銀を入れて、後手から飛車先を切った。数多の前例がある相掛かりだが、この時点で既に過去から決別した形になっている。それだけ序盤に可能性があると言えるし、その広大さに自分が矮小なもだとも思えてくるよ。ボクたちは何も理解っていないのかもしれないね、ただその気になっているだけで。

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 互いの意図によって急戦にも持久戦にもなりうる相掛かりという戦型は、特定の囲いや攻めの形を持たない。本局は先手がすかさず▲2四歩と動き、横歩を取って前者を志向した。対して後手は受けに回り、陣形を整備しつつ飛車を責める構えを取る。先手は一貫して攻勢を取る必要があるが、▲1五歩は控室も驚いた一手だった。
 桂馬も跳ねていない状態で端を突き捨てるのは、いささか早計に思えるからね。しかし突き捨てずに▲3七桂は、△8八角成―△2八角が間に合ってしまう。消去法で導いた手順らしい。成否は……とても微妙だが。

 後手は突き捨てを咎めるべく逆襲してきたが、▲1七同香からは一直線に進行した。

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(後手は1筋を伸ばして歩を成ったが、▲1七同香と取って△同香成▲2三歩成△2七歩▲3二と△2八歩成と一直線に終盤へ突入した)

 互いに変化の余地が難しい終盤になったが、応酬の中で細かなミスが後手に生じ△7四角が最終的に敗着となった。

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 先手の馬は6四の地点まで進むのだが、▲7四馬と取れる変化が先手の大きな得になっていた。代えて△7二角ならば、そう簡単には決まらなかったそうだが……プロでも即座に善悪を判断しかねる二択が生じていたとは恐ろしい。勝負の往く先に、どうしてこんな局面が生まれるのだろうね?

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(このとき、▲7四馬と取る手が生じ先手のプラスになっている)

 以下は正確に決めて、95手で先手の勝利。羽生棋聖が初戦を白星で飾った。

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第2局(10月28日、29日)

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 第2局は現代将棋を象徴するような序盤だった。何気ない角換わりの出だしから、△4四歩と角道を止めて角交換を拒む圧倒的に少数派だった出だしだ。
 これまで見過ごされてきたセカイに光が当てられたわけだが……左辺をみてほしい。角と金銀の3枚が玉の進路を阻む壁を形成している。以前は後手が矢倉だった為に先手は対抗できていたが、ここで雁木を組み合わせることで先手の反撃が間に合わなくなってきた。今はこれを嫌って、角を引く余地を消してでも▲6八銀を上がる将棋が増えている。
 当たり前だった手順まで咎められるようになるとは……ボク達は何を道標にすればいいのだろうね?いや、そもそも人が勝手に作っただけで、そんなものは無いのかもしれない。

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 先手としては攻めが間に合わないことは理解っていたから、「仕掛けない」方針を徹底して駒組みをした。▲4八銀と手損を承知で後手の仕掛けを牽制し、角の睨みで持久戦に持ち込む狙いだ。雁木は発展性に乏しいから、長引けば後手の方が手詰まりに陥りやすいという意味もあっただろう。

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(6筋から仕掛け、攻めの継続を図る△6六歩。▲同金から桂を取られない形にはなるが、歩切れが気になるところ)

 待ち構えているところに、それでも後手は果敢に仕掛けた。先手は咎めるべく受け潰しにいく。争点が少ないがゆえに、後手は駒台に歩を置くことができない。攻めが切れてしまうのではと危惧されたところで、その一手は飛んできた。

 

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(▲同桂と取るよりないが、金を吊り上げて△7五銀が間に合った)

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 7七の地点に、桂を放り込む。誰も読んでいなかった異筋の一手だが、これで攻めが続いている。△7五銀と出た局面は、後手の大駒が最大限に働いていて、受けきれる状況ではない。ここからは徐々に後手のペースへと移っていった。

 

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 敢えて駒を取らない△4九竜も、桂打ちに続く好手だったね。香車を手にする徳は大きいが、間接的に先手の角が睨む位置になっていて、後手としては損な変化が多かった。「手渡し」は羽生棋聖の得意とする所だが、この忙しい局面でそれを指せる人はそういないだろう。
 後手の攻めが切れない形になって、ジリジリと形勢は開いていった。


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 終盤は雁木を補強しつつ、鉄壁のまま押し切って勝利。疑問手といえるものが一つもない快勝だった。これで竜王戦を2連勝。こうなると過去の成績よりも、奪取への期待の方が高まったのも自然な流れだろう。

 

 

 第3局(11月4日、5日)

 

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 第3局は、3手目から注目を集めた。▲5六歩、羽生棋聖の先手中飛車居飛車がメインでありながら、しばしば振り飛車も採用する裏芸……いや、先手中飛車に関していえば採用した局は全勝だったのだから、この言葉は適当でないか。とにかく、全力で白星を掴みにいったのは間違いない。

 ……しかし、過去の星が今と断絶された存在であることは、これまでも観てきた通りだ。本局も、そうであったように。

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 相穴熊に進み、中段の勢力争いになって封じ手の局面。▲4三歩からと金を作りにいったが、歩を消費したのが痛かった。代えて▲2六飛がまさったらしいが、これはこれで茫洋としていて判断が難しい。結果から振り返れば先手はこの後、一歩でもあれば受かる後手の攻めに苦しむことになった。

 

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 △9二角と置いたのが後手の好着想。さらに△8三角とつないで、遠見の二枚角を受けるために先手は駒台の銀と竜を自陣に投入しなければならなくなった。これを緩和するべく打たれた▲8二銀が敗着で、以下△5二飛までの技有りだ。先手からすれば歩切れに苦しんだことは間違いない。

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 自陣が鉄壁で、攻めが切れないときの渡辺竜王は強い。一度ついた差が埋まらない相穴熊特有の終盤を抜けて後手が勝利した。

 

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 実は本局の少し前、銀河戦で相対した両者は同じ先手中飛車で戦っていた。このときは後手左美濃の対抗型になり、先手が勝利していたのだけど……相穴熊にしたあたり、その影響はあったのかもしれないね。棋士は各棋戦で相対するわけで、ここでは触れられなかった要素が関わっていてもおかしくはない。しかし推測だけでこれ以上を語るのはいち観測者としての驕りになるし、限界とも表現できるだろう。

 

 

第4局(11月23日、24日)

 

「タイトル戦は偶数局が大事」という言葉があるらしい。1局の価値は不偏だし、あまり流れに囚われるのもどうかと思うが……それでも本局は、この番勝負の趨勢を決めたと書いても過言ではない、そんな内容だったと言えるだろう。

 

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 先手は矢倉早囲いを目指し、後手は完成を拒んで7筋から動く。矢倉らしい全面戦争に突入し、これまでの3局とは趣の異なる手の広い中盤戦になった。薄い中央を突いた▲5五歩が、先の展開に大きな影響を与えることになる。

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 後手は玉頭を攻め、先手は抗って左辺に馬を作った。ここで放たれた△3四角が、先手玉を射抜くラインにいることを確かめてみてほしい。こうなってみると先手の歩は5六の地点にいた方が良かったことが理解ると思う。

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 とはいえ後手玉も堅さとは程遠い陣形なわけで、先手玉を正確に寄せなければ逆転を許してしまう局面。ここで飛車を引いているようでは、勝利を掴むことはできない。手番を渡せば▲3四銀から攻守が入れ替わってしまうからね。

 検討で上がったのは△5六飛。飛車を成り込む余地をみせて催促する手だ。結果的にこの手は水面下の変化になったわけだが、ほぼ一直線に進めてみよう。

 (変化図)

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(▲7七歩以下 △5六飛▲3四銀△7六歩▲同歩△5七飛成▲6八銀△7七金▲同銀△6七金▲8九玉△7七金▲7九香△8六歩▲7七香△8七歩成)

 後手が攻めているのは間違いないが、ここまで進めて先手玉は詰めろになっていない。△6九竜と入る手が厳しく正確に指せば後手が良いようだが、決まっていると断言できる順ではないね。感想戦で「ピッタリした手がない」と羽生棋聖が語っていたが、先手玉への速度が足りないと読んでいたのだろう。……ただ彼が導いた順は、万人の想像を絶するものだったけど。

 

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 △6六飛▲6七銀△8八金

 ……この3手を、中継で観ていた人達の衝撃はどれほどのものだっただろうか。銀を打てば受かってしまう△6六飛に、貴重な戦力を僻地に打った△8八金。この組み合わせで先手が寄る未来を描こうとする者は一人しかいない。というよりも後手が変調で、むしろ逆転したのではないかとすら思えたよ。

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 ▲6八玉△6五飛▲3四銀

 そして先手玉が逃げたところで、じっと△6五飛と桂を取った。先に述べたように、手番を渡せない状況なのは変わらない。先手は▲3四銀と角を取って反撃に出た。△同銀とは取れないこの局面は後手の勝ちへの道筋が完全に閉ざされたとすら思える。

 

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 △6六歩▲5六銀△3六桂▲3八飛△3四銀▲6五銀△4八銀

 △6六歩から敢えて飛車取りに銀をよびこんで、△3六桂。そして△3四銀と手を戻して飛車を取らせ、△4八銀と打つ。驚くべきことに、これで挟撃形になり先手玉は受けなしになっている。ここまで、ほぼ一直線に進めてきたはずなのに、後手の勝勢へと収束した。悪手に思えた△8八金が、信じられないほどに機能している。△6八飛までで、完全に後手玉は捕まった。

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 △6六飛から20手も先のセカイを見越していなければ、この手順は指せない。あまりにもハイレベルな羽生棋聖の指し回しは、観ている側の感覚までも破壊したようだったよ。

 

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 これで3勝1敗として、竜王位奪取に王手かけた。あと1勝とはいえ、そのとてつもない重さは竜王戦における羽生さんの歩みが示している。だから当時の高揚は、その星以上に対局の内容に向けられたものだったと思うよ。理解のできない強さが本局を含めた番勝負の中に現れていたからね。

 そして……世間の注目を集める中で、第5局が始まった。

 

 第5局(12月4日、5日)

 

 本局については……様々なところで取り上げられたし、ここの事務所でも既に記録されている。

高垣楓の徒然観戦 未踏の景色 - とある事務所の将棋紀行


 よって微に入り細を穿つことを書くつもりはないが、何が起きていたのかをなぞってみようと思う。

 

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 まず本局の数日前に指されたA級順位戦7回戦が、本譜の展開に強く干渉している。手番も同じで、角換わりに進んだこの局面。藤井聡太豊島将之 戦では▲4五歩と突いて、△6五歩以下一直線に千日手となった前例がある。先手の羽生棋聖に工夫が求められていたのだが……見事な解答を示した。

 

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 ▲4七金から、飛車先の歩の位置が低いことを活かして▲2五桂と跳ねる。従来の角換わりならあり得た一手だが、この形で組み合わせた構想が秀逸だった。現代将棋の弊害と言うべきか、低い陣形ゆえに争点が少なく先手の仕掛けが成功した時点で逆転の余地が少ない展開になっていた。先手の完勝に終わったこの将棋は、後手に▲4七金への対策という課題を与えていたんだ。

 

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 そして本局へと話は戻る。上の局面とわずかに形が異なっていることを確認してほしい。9筋の保留と、玉の位置。これが順位戦を踏まえた後手の工夫だった。1手囲いを早め先手の仕掛けから遠ざかる意味で、ここで▲4七金と上がっても展開が過去と趣を異にすることは間違いない。まだ駒組みが続くかと思われていたし、9筋や4筋、仕掛けのタイミング次第で未知のセカイが創りだされる。そう思っていたのに……

 ここで指された▲4五銀が、すべての紛れを切り裂いた。

 

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 △5五銀を許して▲2五桂と跳ねる。なぜ玉から遠ざかる▲4八金や▲4七金を指してから戦いに挑むのかといえば、桂馬を跳ねた後に残る空白に、後手の角を打ち込まれる余地を消すためだったからだ。▲4五銀という手が悪手とされた定説が存在していたのも、ごく自然なことだろう。しかし本局は定説が破綻する「例外」であった。

 

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(この局面で封じ手となり、▲4六飛と切った)

 馬を作らせても、先手の攻めは切れない。封じ手で馬と飛車を交換してみると、先手の攻め駒だけが前に進んでいる。後手は竜をつくったが、逆に負担になる中終盤になった。

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 この竜が後手の反撃の生命線ながら、竜取りを繰り替えされて先手の囲いを強固にする手伝いをしていたからね。そして先手の攻めは切れる心配がなく、最後は明快に一手以上の差がついていた。

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 ▲8四香がすべてを収束させる一手で、自玉への脅威を緩和しつつこの手自体が詰めろという攻防手だ。ここからは生放送の解説も沈黙を保って、その瞬間を待っていた。しばらく考えて△同飛と取ったが、これは形作り。飛車が動いたためにより短手数の詰みが生じている。

 

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(87手まで、先手の勝利。以下は△5一玉▲6三桂△同金▲5二金までの詰み)

 ▲4三銀打をみて、渡辺竜王の投了。この瞬間、羽生棋聖竜王奪取が決まった。それから今までの様々な世間の反応は、ここに書くまでもないだろう。世間からすれば唐突に将棋の話題が降ってきたような感があったと思うが、ファンからすれば何年も待ち望んだ快挙だった。

 こうして、歓喜と熱狂の中で第30期竜王戦は終焉を迎えた。

 

 思えば第1局から「相掛かり」、「雁木」、「先手中飛車」、「矢倉」、「角換わり」とすべて違う戦型で意欲的な作戦を志向していた。また内容も、観る側が想像だにしないような手順が幾つも飛び出し、まさに羽生将棋という言葉が当てはまる。常識ではあり得ない、例外の一手や組み合わせを導くのがいわゆる「羽生マジック」の本質だが、この竜王戦はそれが如実に表れていた。とにかく、理解が追い付かない。永世七冠という前人未到の偉業さえも、マジックの延長線上に在ると思えてくるよ。

 

 この1年を、羽生さんを軸に追いかけてみたが……どうだったかな。すべてを忠実に記録できたとは思っていないけど、この1年が棋史に大きく刻まれるものだったことが少しでも伝われば幸いだ。
 今期の羽生さんの竜王戦における成績は、挑戦までが7勝2敗、七番勝負が4勝1敗。勝率は0.786となった。数字がこれまで記してきた戦いを語ってくれるわけじゃないが、奪取という結果も頷ける成績あることがひと目で理解るだろう。

 

 このタイトル戦は永世七冠という大きな節目に在ったからこうして取り上げることができたが、それ以外の獲得した98期分のタイトル戦、そして失冠、挑失した期や本戦に絡めなかった期だって、様々な物語があることは想像に難くない。ボクが記せるものには限りがあるから、もし気になったのならばその目で確かめてみてほしい。先人が記してきた激闘の歴史が、棋譜や観戦記という形で残されているからね。

 

 未来は、誰にも解らない。今年は、どんなセカイが紡がれるのだろうね?色んな可能性はあるけれど、いい一年になるよう願っているよ。

 

 

 ……ここまで記したところで、最初の吉報が入ってきた。羽生善治氏、井山裕太氏への国民栄誉賞が正式に決定したそうだ。どう表現しても月並みな言葉しか出てこないが、誰も到達したことのない高みに、羽生さんがいるということの証左だろう。

 今はただひたすら、惜しみない称賛を送りたい。

 

(了)

二宮飛鳥と観るセカイ  (前編)第30期竜王戦トーナメント

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 やぁ、よく来たね。ボクはアスカ、二宮飛鳥だ。この電子上に造られたセカイの案内人であり、観測者でもある。……わざわざ自己紹介しなくても、君はボクというアイドルを知ってくれているのかな?そうであれば嬉しいし、逆に初めて知ったという人は今『こいつは痛いやつだ』って思っただろう。正解さ。……でも思春期の14歳なんて、そんなものじゃないのかい?フフッ。

 さて……今回このタイミングでボクが語るということは、つい先日まで紡がれた戦いの軌跡以外にないわけだが。ボクは特別に何かを識っているわけでも、理解っているわけでもない。それでも衝動に任せて書き残しておくことに、後付けだろうと意味を見いだせたらいいと思っている。よろしくお願いするよ。

 

 第30期竜王戦

 

 まぁ、今期の戦いがどんな結末を迎えたかについては、知らない人の方が少ないだろうね。それだけ世間を賑わせたし、快挙だとボク自身も思うよ。

 七番勝負から追いかけるのも一興だが……今期に関しては予選から、軌跡をなぞってみようと思う。勿論、話の軸になるのは言うまでのなくあの人になる。しかし、その偉業の陰に隠れてしまった物語の中にも、記しておくべき戦いが幾つも在ったと想うんだ。

 それが傑作かどうかは……読んで決めればいい。

 

1組 1回戦 羽生善治三冠―三浦弘行九段
(2017年2月13日)

 

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 この対局から、羽生さんの今期の歩みが始まったというのは……どう表現したらいいのだろうね?万人が納得できるような言葉をボクは持ち合わせていないし、そもそも存在しないとすら考えるのだけど、感情が湧くことだけは確かだ。
 少なくともこの対局は存在するべきではなかった。しかし131手に渡って2人が紡いだ勝負の跡は、消してはならないとも思った。あえて名局だった、と表現するよ。

 

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 この一局について深く触れている記事も在るから……気になった人が、開いてみるのもいいと思う。

鷺沢文香『第30期竜王戦 1組ランキング戦 羽生善治三冠-三浦弘行九段』観戦記 - 神崎蘭子さんの将棋グリモワール

高垣楓の徒然観戦 私の願いなんて - とある事務所の将棋紀行

 

1組 2回戦 郷田真隆九段―羽生善治三冠
(2017年3月17日)

 

 後手となった羽生三冠は横歩取り△8五飛戦法で、△5二玉型に構えた。一時期は『斎藤流』をはじめとする△8四飛型の流行で観られなくなった形だが、戦型が否定されたわけじゃない。流行というものは不確実で曖昧なものさ。

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 先手の仕掛けを逆用して、2枚の桂が中央に飛び出した。直前に先手の金を8八の地点に誘導した効果で、取られそうな桂が最大限に働いている。「天使の跳躍」と言われる桂跳ねだが、双翼の如く並ぶのは珍しい。先手からしてみれば悪魔だけどね。
 以下は正確に決めて後手の勝利、準決勝へと進出した。

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1組 準決勝 糸谷哲郎八段―羽生善治三冠
(2017年4月11日)

 糸谷八段は3期前の竜王戦の覇者であり、当時の挑戦者決定戦で羽生三冠(当時)を下した人でもある。何時間も残して終局する事があるほどの早指しで有名で、かなり独特な棋風といえるだろう。

 角換わり腰掛け銀の流行型に進み、互いに仕掛けのタイミングを測る序盤になった。後手は千日手を含みに銀や玉を往復していたが、この場合は意味のある手損だとみることもできる。とはいえ、先手の駒も確実に伸びて5筋を抑え、戦いとなった。

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(△4二玉ー△5二玉や、△5四銀ー△6三銀、先手も▲5九飛ー▲2九飛と、手を渡しながら隙を伺った。ここから△6五歩で開戦)

 本局の終盤は難解で、解説をここに記すには余白が狭すぎる。後手玉もかなり怖い形をしているが、僅かに詰まないことを読み切っての勝利だった。
 そして羽生三冠は竜王戦1組、決勝へと進んだ。

 

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 (この局面から20手もの王手ラッシュが続くが、後手玉はギリギリ逃れている)

 

1組決勝 羽生善治三冠―松尾歩八段
(2017年5月15日)

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 既に決勝トーナメント進出を決めた羽生さんだったが、ここで1勝するかで挑戦者決定トーナメントの配置が変わる。相手は松尾八段だった。
 戦型は横歩取りに進み、後手の松尾八段の△8五飛戦法に対して新山崎流を採用。既に「後手良し」の変化も多く、他の有力策がある中での採用は意外に思われていたね。2011年、2012年の名人戦などで経験していたから、何か気になるところが在ったのだとは思う。

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(前例の先に在る攻防だが、一度火の手が上がってしまえば居玉は脆い)

 ただ作戦が功を奏したとは言い難く、後手の堅実な指し回しの前に敗北。1組優勝は松尾八段となった。

 余談だが、羽生さんは1組トーナメントの優勝経験が1回しかないらしい。その実績を考えれば、少し意外なところだね。


 挑戦者決定トーナメントをこのままの目線で語る前に、少し物語の軸をずらそうと思う。対局室を報道陣が埋め尽くした対局は、永世七冠達成のときだけじゃなかったからね。

 藤井聡太四段が去年の秋に史上最年少のプロ棋士デビューしてから棋界は大いに注目を集め、それは日に日に大きくなっていった。
 藤井四段のデビュー戦は、この竜王戦の6組だ。相手は加藤一二三九段。プロ入り最年少記録は60余年破られなかったものだが、加藤九段はデビューから今までその記録を保持し、「史上最年長棋士として」藤井四段と対局することとなった。
 ……書いていてボク自身が混乱してきそうだが、二度とないだろう組み合わせであることは理解してほしい。

6組1回戦 加藤一二三九段ー藤井聡太四段
(2016年12月24日)

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 世間でも取り上げられたこの対局は、相矢倉の力勝負となった。自身の名を冠する『加藤流▲3七銀戦法』から猛攻をかける先手に対して、受けに回る藤井四段。丁寧に攻めをいなし、先手の息が切れたところで鋭く切り返した。思えば互いの棋風がよく出ていた対局だったね。
 特に終盤、先手の矢倉を崩す手順は流れるようで美しさすら感じさせる。藤井四段の正確で筋がいい終盤の輝きは、このときすでに遺憾なく発揮されていたんだ。

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(最短の寄せ。模範演技のような矢倉崩しの銀と歩頭桂だね)

 110手にて、藤井四段の勝利。ここから、想像を絶する大活躍が始まった。


 ここから他棋戦も含め白星のみを積み上げていったのは、まだ記憶に新しいね。
 6組トーナメントも浦野八段、所司七段、星野四段、金井六段とベテランや若手を次々と破っていき、決勝を迎えた。

6組決勝 近藤誠也五段ー藤井聡太四段
(2017年5月25日)

 相手は近藤誠也五段だった。念のため触れておくが、近藤五段だって若手のホープだ。前期の王将リーグに名を連ね、残留こそならなかったが羽生三冠(当時)や豊島八段に勝利している。6組決勝まで勝ちあがったこと含め、実力者であることに間違いはない。

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(先手の攻めを誘って、銀を僻地に追い込んだ。銀は最後まで泣いていたよ)

 相掛かりから藤井四段の方から趣向を凝らした序盤に。作戦勝ちを収めてからは綺麗な収束まで一本の線を引いたようにまとめ上げた。

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(この局面、歩と桂だけでは決め手が難しく見えるが……)

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(△7六歩▲6七金△6六歩▲6八金△7七歩成▲同金△7六歩でこの局面。金を手のひらの上で躍らせた。『ダンスの歩』と呼ばれる手筋だが、なかなかお目にかかれるものじゃない)

 102手で、藤井四段の勝利。飛角と桂、歩だけで勝ち切ってしまった。自陣に、金銀が4枚あることを確認してほしい。これでデビュー以降負けなしの19連勝。

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 この対局も、別事務所で記事になっている。……レポートか、色々な記し方があるものだね。

ありすレポート『第30期竜王戦6組ランキング戦決勝 近藤誠也五段-藤井聡太四段』 - 神崎蘭子さんの将棋グリモワール



 その後も良くなった将棋は安全に勝ち切り、悪くなった将棋も隠し持った刃で一瞬の隙を切り割いた。まるで冒険小説の主人公のように、度重なる困難を乗り越え、窮地を脱するたびに喝采が巻き起こった。

 そして、竜王戦挑戦者決定トーナメント、一番最初に行われる6組優勝者―5組優勝者の戦い。

 

決勝トーナメント 藤井聡太四段―増田康弘四段 
(2017年6月26日)

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 新人王の増田四段の雁木を相手に、正確無比な指し回しで勝利。これでデビューから公式戦29連勝を達成した。更新する者が出ないと思われていた従来の記録、神谷八段の28連勝も偉大だが……プロ入りから無敗のまま、この記録を更新するなどと一体誰が想像しただろう?『事実は小説より奇なり』とはよく言ったものだが、実際に起こると人間は言葉を失ってしまうようだ。
 このときの過熱ぶりは、筆舌に尽くしがたかったね。対局前からずっと報道陣が詰めかけ、終局後には対局室に溢れんばかりの記者が14歳の快挙を報じようと彼を囲んだ。
 ボクと同じ14歳だったという事実は……彼の方が例外だと思いたいよ。

 しかし後から振り返ってみれば、物語はこの時点で大きく動いていたんだ。一つの章の終わりに向かって……ね。
 同じ部屋でカメラを背にして、むしろぶつけられているといった表現の方が近い状態で座っていた青年。次戦の対戦相手、佐々木勇気五段(現六段)だった。

 28連勝の前から、藤井四段の対局を観に訪れる姿はみられていた。異様ともいえる報道陣の雰囲気を、予め知っておきたかったというのが理由らしい。中継される画面、その片隅に座っている様子が何度か映っていて「座敷童みたい」とファンの間で評されていたが……。このときから既に、佐々木五段は藤井四段に勝つことに全力を尽くしていた。

 そして4組優勝者として、次戦を迎える。

 

挑決トーナメント 佐々木勇気五段―藤井聡太四段 (2017年7月2日)

 盤外の準備はさきほど記した通りだが、盤上においても勝利への執念が垣間見えた。相掛かりから迎えた序盤。

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 自然な駒組みのようだが、既に先手がペースを握っている。詳しい事は省くが、▲6八玉という位置が、後手玉のそれよりも格段に良い。横歩取りに『勇気流』という佐々木勇気五段が得意とする戦型があるのだけど、その形に近い展開に持ち込んだ。
 藤井四段は後手番で、横歩取りではなく角換わりを志向することが多い。しかし相掛かりは受けるタイプだから後で横歩を狙うことはできる。おそらく佐々木五段はかなり研究して、この構想をぶつけたのだろう。

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(端に活路を求めた後手に対して、丁寧に応接した上での▲9二飛で技が掛かった。馬取りと、▲8三歩成の両狙いが受からない)
 
 その後も着実に優位を広げていき、相手の手段を潰していった。大胆に捌く攻めを得意とする佐々木五段にしては慎重と思えたその指し回しは、藤井四段を最大限に警戒しつつ、目の前の一勝を徹底して追い求めた手順といえるだろう。

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 かくして、佐々木勇気五段が押し切り101手で勝利。藤井四段の連勝記録は29で止まり、竜王戦での快進撃もここまでとなった。

 佐々木五段は「私たちの世代の意地を見せたいなと思っていた」と対局後のインタビューで語っていたが、彼らだって才能と努力をもってこの世界にいるんだ。藤井四段を主人公のように扱うのは容易いが、それは他の棋士にとってみれば忸怩たるものがあるだろう。彼らを脇役とする根拠なんか、どこにもないのさ。

 そして佐々木五段もまた、次戦では1組5位の阿久津八段に敗れた。各組の優勝者、上位者がひしめく決勝トーナメントは誰であっても勝ちあがるのは容易じゃない。かの羽生さんだって、ここ数年は途中で敗退していたわけだしね。
 いささか変則的なトーナメントだが、この山は後から登場した上位者が勝利していくことになる。

 

 話の軸を戻そうか。1組2位の羽生二冠は反対側の山からスタートした。こちらもまた、険しい道のりが待っていたね。


決勝トーナメント 羽生善治三冠ー村山慈明七段 
(2017年7月14日)

 対戦相手は3組優勝の村山慈明七段。
「王位リーグ最終局とプレーオフの組み合わせですか!懐かしいですねぇ」
と菜々さんが言っていたが……ボクは観測していない事象なのでさておき。

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 戦型は先手の羽生三冠の横歩取り勇気流。このときすでに流行といえるくらいには指されていたが、2016年から採用をしていたので何か気にいる部分があったのかもしれない。先手から形を指定できる反面、細い攻めを繋げる技術や激しい攻め合いを切り抜ける力が求められる……端的に言えば「人を選ぶ戦型」かな。

 

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(駒損ながらと金をつくり、先手陣に肉薄する)

 これに対して、村山七段の研究手順が飛び出した。△7六飛を受けたはずの▲6八玉型に対して堂々と横歩を取り、飛車交換に持ち込んで攻め合いの形を作った。形勢は難解ながら、変化の余地が少ない。事前の準備や情報の差が大きい展開に持ち込まれ、わずかに先手苦戦とみられる終盤になっていった。迎えたハイライトがこの局面。

 

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 ここで△6四金が後手の好手で、攻防手だった。……しかし、この手だけどをみて意味を理解できる人はほぼいないだろう。膨大な変化をはらんだ難解極まる局面であり、情報という名の高速道路を抜けた先の荒地だ。13分の考慮で指されたのは△7五金だった。これはこれで厳しい攻めの一手だが、先手からも返し技があった。

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(△7五金ー△6五桂ー△7六銀ー△8六金で部分的には必至だが、王手で金を抜く先手の切り返し)
 ▲6三角成から追いかけて、攻めの金を抜く。結果的には、1マスの違いが勝敗に直結したことが理解ると思う。後手からすれば唯一の勝ち筋を逃し、先手からすればわずかな隙を的確に咎めきった勝負だった。


決勝トーナメント 羽生善治三冠ー稲葉陽八段
(2017年7月31日)

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 ここを勝てば挑戦者決定戦、対局相手は稲葉八段。今期の名人戦の挑戦者であり、名実ともにトップ棋士だ。横歩取りを得意としていて、前期順位戦では後手横歩で羽生三冠(当時)に勝利している。

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 振り駒で先手となった羽生三冠は横歩取り勇気流を再び採用。対して後手の稲葉八段は△8五飛から受けに徹する順を選んだ。このあたりは棋風通りともいえるだろう。後手の守備の網は緻密かつ強固で、先手は早い段階の仕掛けを断念しひねり飛車のような陣形に。先手玉の位置が飛車と近く、好形とは言い難い。そこを突いた後手の抑え込みが決まったようだが……

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 先手は包囲網を破った。この手順は驚愕に値するし、僻地に打たれた金が這うように後手陣を蹂躙していくさまは、勝負の趨勢で生まれたとはにわかに信じがたいような手順の妙だったよ。

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(普通は遊び駒になる▲8二金が、▲8一金、▲7一金、▲7二金、▲7三金と後手陣の左辺を開拓した。最後は▲6三金と捨て、飛車の活路を切り拓いてフィニッシュ)

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 まで、99手で先手の勝ち。投了図は大差にも見えるが、抑え込みを狙う将棋はその成否によって勝敗が決するものだからね。もし後手の主張が通っていたら……全く逆のセカイが広がっていたことだろう。中盤の攻防がすべてを決した勝負だった。

 本局もまた、その想いを文字にのせた記録が残っているね。このとき先の展開は予測できない未来だったわけで、振り返ってみると興味深い。

佐久間まゆの徒然観戦 悲願の季節 - とある事務所の将棋紀行

 そして、挑戦者決定戦が始まった。 三番勝負で、相手は松尾八段。藤井四段や佐々木五段のいた山で、久保利明王将に勝利しこの場へやってきた。1組優勝対1組準優勝の組み合わせだ。実力者が勝ちあがった、ともいえるだろうね。


挑戦者決定戦 第1局 羽生善治三冠ー松尾歩八段 
(2017年8月14日)

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 第1局は後手の松尾八段による横歩取り△8五飛。奇しくも対局者も手番も戦型も、竜王戦の1組決勝と同じになった。ただ先手の対策は新山崎流ではなく、中住まいから7筋の位を取るという、これまた今ではみない形になった。どうやら2010年頃には流行していたらしいが、そもそも横歩取り△8五飛の流行自体がその頃だったようだね。7年もの時を経て、こんな大舞台で再び姿を現すとはね……不思議なものだよ。

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 控室の手が当たるのに、結論だけが分からない不思議な終盤。最後に抜け出したのは、羽生二冠だった。

 

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 挑戦者決定戦 第2局 松尾歩八段ー羽生善治三冠
(2017年8月25日)

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 第2局は、先手松尾八段による『横歩取らせ』。わざと後手の作戦を、先手番で用いるための序盤だ。だから先手が中原囲いに、後手が中住まいに構えている。
 盤を180°回転させれば、見慣れた形に近いんじゃないかな?

 

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(後手ペースとみられていた中、▲6六桂が巧打。これで7筋の攻めが受からず、一気に終盤へ突入した)

 後手有利の見方もあった中、一気に終盤へと突入した。後戻りできない斬り合いは、先手に軍配が上がった。こういった直線的なの読み合いは松尾八段の得意とするところで、ここまで勝ちあがってきた原動力でもある。

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 3番勝負は1勝1敗となり、第3局へともつれこんだ。

 

挑戦者決定戦 第3局 松尾歩八段ー羽生善治二冠
(2017年9月18日)

 対局を追う前に、肩書に注目してほしい。第2局と第3局の合間に王位戦第5局が行われ、1勝4敗で王位を失冠。三冠から二冠に後退して、本局を迎えた。調子や勝率を語る声もあったのは確かだ。それが、この勝負そのものに影響を与えないとはいえね。

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 最後は再び振り駒をして先後を決めるのだが、第2局と同じく羽生二冠は後手番となった。そして採用した戦型は……横歩取り△8五飛。
 振り返ってみれば理解ると思うが、羽生二冠は松尾八段との対局すべてで先手番の横歩取りを戦っていた。第2局は手番こそ後手だが、中身は真逆だったからね。
 様々な戦型の選択肢がある中で、敢えて同じ戦型をぶつけたといえるだろう。このあたりはいかにも羽生善治という棋士らしい。そして序盤早々に、膨大に存在した前例のほとんどから別れをつげた。

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(異筋の歩頭桂。▲同歩成△同桂で、取られそうな桂を逃がしつつ手番を握る)

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(『両取り逃げるべからず』の格言通りの一手。▲3三角成と▲7三角成をみた、両取りのお返しでもあるね)

 終盤の攻防は並べてみることを勧めたい。『駒の損得より速度』という格言を地で行く、タイトル挑戦を懸けた勝負に相応しい応酬だった。

 

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 ここで▲6八銀としたのが敗着で、▲5八玉なら難解ながら先手にも勝ち目のある勝負だった。この手も以下、△4九飛成に▲1六角と王手飛車を掛ける狙いだったが――

 

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 進んで、△4三金と銀を残して受けたのが好手順だった。自陣は一気に寄りにくくなり、攻めに専念できる形に。

 

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 下から追いかけたときに、銀の方が攻めによく効いていることが理解るだろう?

 そして終局図。

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 守りに打ったはずの金まで詰みに働かせて、後手の勝利。
 これで羽生二冠が三番勝負を2勝1敗とし、竜王戦挑戦者となった。

 本戦への出場は、実に7年ぶりだったそうだね。それだけ、このトーナメントを勝ちあがることが難しいということでもある。

 

 さて、ここから七番勝負へと物語は章を移すのだが……ここから更に5局続けるというのは具体的な限りを設けられていないこの空間だとしても、いささか長すぎるだろう。
 というわけで、ひとつ区切りをつけようと思う。世俗的な言い回しをするなら、そうだな——

 

 後編へ続く……ってね。

 完成したみたいだ。興味のある人は、覗いてみるといい。

kaedep.hatenablog.com



(続く)

高垣楓の徒然観戦  未踏の景色

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 羽生善治という棋士が七冠を制覇してから、20年以上の年月が経ちました。一度すべての頂点を極めたその人は、今に至るまで第一線を戦い抜き……誰も見たことのない場所へ、たどり着こうとしています。

 永世竜王、そして永世七冠。一般的な言葉に置き換えると「殿堂入り」に近いこの称号を、7つのタイトルで達成するという途方もない偉業。絵空事のような、むしろ絵空事でも出来過ぎと思える高みまで、あと1勝。

 どこか夢をみているような心地で迎えた、本局でした。

第30期竜王戦 第5局 (12月4日、5日)
羽生善治棋聖渡辺明竜王 戦

 
・1日目、朝  変わらない名前

「将棋界も、ここ数年で大きく変わりましたねぇ」

 初日の朝、菜々さんがパソコンの画面を眺めながら呟きました。

「タイトル戦の結果って、昔は翌日の新聞や中継サイトを観るくらいしかなくて……。竜王戦だって、前はテレビで速報を眺めてたんですよ?」

 画面に映っているのは、対局室の光景。ネットを通じて生放送で観ることができます。

「今では対局開始から封じ手、翌日の終局も感想戦も……全部がリアルタイムで、解説までついて観られるんですから。すごい時代になりましたよねぇ」

 本局の行く末も、たくさんの人が画面を介して見守ることになるのでしょう。

 

 9時、対局開始の合図で両対局者が頭を下げました。少し間をおいて、先手の羽生棋聖がいつも通りの舞うような手つきで初手を着手、▲7六歩。

「でも不思議ですよねぇ……。どんなに時代が変わっても、この方の名前だけは変わらず、対局者の位置にあるんですよ」

 普通だったらあり得ないことですよ、と話す菜々さんは、言葉とは裏腹にとても嬉しそうで。

 誰も見たことのない物語が、期待と不安の中で幕をあけました。


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▲7六歩    △8四歩    ▲2六歩    △3二金    ▲7八金    △8五歩
▲7七角    △3四歩    ▲6八銀    △7七角成  ▲同 銀    △2二銀
▲3八銀    △6二銀    ▲4六歩    △4二玉    ▲4七銀

「羽生さんも、ずっと安定してトップにいたわけじゃありません」

 ゆっくりと駒が進む序盤、菜々さんの昔話は続きます。

「2004年度は森内さんに3連続でタイトルと奪われて一冠に後退しましたし、2011年度には19連覇していた王座を渡辺さんに奪取されました。棋界の勢力図が書き換えられるのではないか、と囁かれたことは何度もあったんです」

 去年も、今年もそうでした。と苦笑する菜々さん。去年は横歩取りに苦戦し、名人位を失冠。今年は棋聖を防衛したものの、王位、王座を失冠して1冠に後退。それに反応する声は、確かにありました。

「でも、苦境に適応して、いつの間にか復活しているんですよ。トップクラスの最先端の将棋を、自分のものにし続けてきたんです。その裏にどれだけの努力があるか……!」

 横歩取りで完敗する将棋は、今では見られません。むしろ竜王挑戦の原動力になっていました。

「この七番勝負でも『相掛かり』、『後手雁木』、『先手中飛車』、『矢倉』と、様々な戦型を採用してきました。その妥協しない姿勢の積み重ねが、羽生さんを支えています。今日だって――」

 角換わりの最新型でしょう、と語る菜々さんはとても楽しそうに微笑んでいました。


・1日目、昼  新構想

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△3三銀    ▲5六銀    △7四歩    ▲5八金    △6四歩   
▲6八玉    △6三銀    ▲3六歩    △1四歩    ▲1六歩    △7三桂   
▲9六歩    △8一飛    ▲7九玉    △6二金    ▲3七桂    △3一玉

「数日前のA級順位戦が下地にありますね」

 駒組みも一通りの手順をおえて、中盤に続く岐路に立ったところ。

 お昼休憩に入ったので、美波ちゃんに局面について聞いてみたらこんな言葉が返ってきました。

「互いに4筋、6筋の突き合いを保留して、後手は△6二金・8一飛型に構えるのが流行の形です。先手の▲5八金型は羽生棋聖が好んで指している印象で、A級順位戦 羽生―渡辺 戦でほぼ同じ形が指されています」

(参考図)

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 スラスラと局面を並べていきます。

「違いは△3一玉と早く引いていて、9筋を突いていないこと。前例では△4二玉のまま戦いが起き、先手の猛攻が決まっています。本局の差異は、渡辺竜王の工夫です」

 これからの展開も、聞いてみました。

「前例は▲4七金と上がって、▲4五銀―▲2五桂と攻めていますけど……本局では9筋を保留しているので、後手は1手早く仕掛けられます。そうなると、1段玉が下にいる形がプラスになる、という主張ですね。どこかで先手も変化すると思います」

 再開後、3手目……予想外の手で、類型から別れを告げました。

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▲6六歩    △5四銀 ▲4五銀    △5五銀

「え、▲4五銀……?金を上がってない形で、ですか!?」

 △5五銀と出るのが目に見えているだけに、切り捨ててしまう一手。悲鳴にも似た声があがり、観る側の空気が張り詰めました。

「普通は、ダメな順だと判断します。次に△4六銀と△6五歩の両狙いが受からないので。▲4七金と後から受けても、△6五歩と突かれて後手の攻めが1手早いです」

 確かに、受ける筋はありません。そうなると必然的に、攻めの手を狙っていることになります。

「消去法でいくと▲2五桂と跳ねる手しか残りません。ですが、△3七角の反撃は絶対に指されてしまいます。角換わりは、この『桂馬のいたスペース』をどうカバーするかが重要だったのに……。初めてみる攻めです」

 信じられないといった様子で、検討用の継ぎ盤を見つめていました。美波ちゃんだけでなく誰しもが、この攻めで繋がるのか疑問に思っていましたね。


・1日目、夕方  塗り替えてきたもの

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▲2五桂    △4二銀    ▲1五歩

 双方が時間を使いながら、中盤戦が続きます。

 先手は予想していた▲2五桂からの攻めを決行して、▲1五歩と端を絡めにいきました。ほぼ一直線の応酬に、検討も熱が入ります。見当がつけやすいですからね。

 しかし駒を動かせば動かすほど、先手の攻めが通る変化ばかり出てきました。

「とにかく、▲4五角が厳しいです」

 検討の要だと美波ちゃんが示すのは、中段に角を打つ一手。

「△1五同歩には▲3四銀と一歩を補充しつつ、次の▲2三銀成△同金▲4五角が飛車金両取りです。取った歩を使った端攻めもあって、受けきることは予想以上に難しいことが分かってきました」

 (変化図)

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▲1五歩以下
△同歩 ▲3四銀 △3七角 ▲2九飛 △4六角成 
▲1三歩△2四馬 ▲1五香 △同馬  ▲2三銀成 △同金
▲4五角

「手順は長いですけど、飛車金両取りの筋がとても受けにくいです」

 信じられないものをみるような表情で、説明してくれました。まだ早計ですけど、と前置きした上で、美波ちゃんは続けます。

「ここから先はお互いに緩められないので、この折衝が勝敗を分ける可能性は高いです。少なくとも羽生棋聖は、後手の陣形を真っ向から咎めにいっています。もし、この仕掛けで先手が良いなら……定跡と常識を塗り替えることになりますね」

 この大一番に、みんなが驚く新手を指した羽生棋聖。『運命は勇者に微笑む』そんな座右の銘が、頭をよぎりました。

棋士には『創造派』と『修正派』がいる、という考え方があります」

 どこかで聞いたような単語です……解説で誰かが言ってましたっけ。

藤井猛九段や佐藤康光九段は前者で、駒組みから独創的ですよね。羽生棋聖は後者の極致ともいえる方で、課題局面や手順に鉱脈を見いだすタイプです。
 定跡の歴史を調べるとき、必ずといっていいほど羽生さんの名前があります。新しい戦型が流行したとき、正面からぶつかっていって敗れることも少なくありません。それでも方針を換えることなく挑み続け、定跡を更新する側に回っているんです」

 最後の一言は、力強いものでした。

「盤上は、恐ろしいほどの速度で変化してきました。本局が特別なのではなくて……今まで通りの羽生将棋が、この手順をつくっていると思います」

 

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 △3七角 ▲2九飛    △4六角成  ▲4九飛    △1五歩

 後手はがら空きの地点に△3七角と先に打ち、馬を作ります。先手からみれば一番気にする手ですけど、▲4九飛と回れば、間接的に銀取りも受かっている仕組みです。

 △1五歩と手を戻しましたが、あまり評判はよくなかったですね。先手の主張の、ほぼ全部が通りましたから。

 羽生棋聖はそのまま6時を迎え、封じ手の意思を示しました。

 

 先手が互角以上だろう、という見解は期待となって静かな熱気と興奮をよび、翌日へと続いていきます。

 

 

・2日目、朝  期待

 

 翌日の朝は封じ手開封の前からテレビで報道があり、世間の注目の高さに驚きました。

「すごいタイミングですよねぇ」

 自然と、菜々さんとの話題はその事になって。功績の大きさだけでなく、時期がよかったのだと話し始めました。

「藤井四段のプロ入りから快進撃、加藤九段の多方面に渡るご活躍もあって、今までにないくらい将棋界に注目が集まった1年でしたから」

 思い返せば、様々な出来事がありました。これまでも大きな反応がありましたが、今回は今まで以上に盛り上がっている印象も受けます。

 永世七冠とは、どういうものなのか。うまく言葉にできなかったので、菜々さんに聞いてみたらこんな言葉が返ってきました。

「人間が定めた、最後にして最高の称号です!」


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▲4六飛    △同 銀 ▲3四銀    △8六歩    ▲同 銀    △5七銀成 
▲同 金    △5九飛 ▲8八玉    △5七飛成

 昨日よりも大量のシャッター音に包まれた封じ手開封。2枚の図面に描かれた手は▲4六飛、盤上から馬を消しつつ手番を握れる本命の一手でした。

 何とか攻め合いに持ち込みたい後手は、働きの悪い銀を捨てて竜を作ります。ただ位置が悪く、△3一玉との関係もあって王手竜取りの変化も検討されていました。

 差を広げられそうな局面。ここからの指し回しも、まさしく羽生将棋でしたね。


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▲6八銀 (上図)  △4八龍    ▲5七角    △4九龍 ▲1二歩    △同 香   
▲1三歩    △同 香    ▲同桂成    △同 桂 ▲同角成(下図)

 

 先手が攻め続けると思われていた中で、受けに回る▲6八銀。意外に見えますが「絶対に負けない」と主張するような一手です。薄い先手玉の嫌味を消して、形勢を覆される余地を潰しています。

 水面下では何度も▲4五角の脅威にさらされている後手は、竜を不自然な位置にしか動かせません。しかし別の手段までは防ぎきれず、今度は▲5七角から端が受かりません。1三にできた馬が、後手玉への王手になっています。工夫だったはずの△3一玉が、これでもかと咎められてしまいました。

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▲1三馬以下

△2二金打  ▲1五香    △1三金    ▲6七角   

 馬は逃げずに▲1五香。取られそうだった駒まで、すべてが躍動するように働いています。金を取らずに▲6七角も、さきの銀打ちの延長線上にあるような一手で、先手陣は強固な防波堤が築かれました。攻めの糸口すら掴ませない指し回しです。

 流れるような、綺麗に一本の線が引かれたような手順で有利は優勢に、そして勝勢に変化していきました。

 

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 ・2日目、昼過ぎ  羽生善治という棋士

 

 まだどこか現実感のないまま、静かに時間が過ぎていきました。

「もうすぐですねぇ」

 誰かに話しかけられて辺りを見回しましたが、人影がありません。下の方から声が……?

「ここですよぉ」

 机の下から、まゆちゃんが出てきました。よく見たら、継ぎ盤も用意してあります。もう、動いていませんでしたけど。

「長かったです……本当に」

 まゆちゃんから出た言葉は、色んな感情がにじむ声をしていました。

「羽生さんの初タイトルは19歳のとき、この竜王戦でした。……でも1期で失冠が2回、連覇したときも2連覇を2回、通算6期です。これでも十二分に素晴らしい実績ですけど、他のタイトルに比べれば……少ないんですよねぇ」

 通算98期を7で割ったら、2桁を軽くこえてしまいます。そう考えると、「少ない」という表現はあながち間違ってないのでしょう。普通はあり得ないことですけど。

「9年前の七番勝負は、100年に1度の大勝負と言われた名シリーズでした。でも、厳しい結果だったことに変わりはありません」

 熱戦の末に、3連勝のち4連敗。暗い表情のまま、続けます。

「7年前に再挑戦したときも、2勝4敗。それからも毎年のようにトーナメントを追いかけて、敗れるたびに1年が過ぎていって……。もう、ダメかもしれない。そんな考えが浮かんだことをありましたねぇ」

 その年の、勢いのある人が勝ちあがる竜王戦。毎年のように期待が集まっていましたけど、本戦に絡めないまま、長い時間が経ちました。

「羽生さんの魅力は、強い所にもありますけど……タイトルの数が多いから、なんて単純な話じゃありません。将棋に対する姿勢や振る舞い、物事に対する考え方……そのどれもが模範的で、素晴らしくて。情熱を失わずにずっと、30年以上も歩み続けてきました。だから、尊敬しているんです」

 一息ついて、少しだけ口調を強くして続けます。

「それでも……いえ、だからでしょうか。この称号は、どうしても獲って欲しかった。最高の偉業を、残すにふさわしい方だと思ったから……」

 以前、まゆちゃんは永世七冠を『悲願』と表現していました。

 ガラスの靴はシンデレラにしか履けないように、この称号を得られる人は、今この世界にただ一人しかいないのでしょう。

 

 ・2日目、夕方  待ち望んだ瞬間

 

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△1九龍 ▲1三香成  △4一玉    ▲4四歩    △9四桂   
▲2三成香  △同 金  ▲4三歩成  △8六桂    ▲同歩 △6九角
▲8四香

 

 ゆっくりと、しかし確実に、羽生棋聖の寄せが始まりました。受からない後手は、先手玉を攻めることに活路を求めます。

△6九角は詰めろかどうかは怪しいですが、王手がかなり続く形です。紛れる余地を与えない指し方は何か……9分使って指された▲8四香がその答えであり、すべてを収束させる一手でした。

 後手の飛車走りを受けながら、この手自体が後手玉への詰めろ。張り詰めた沈黙のなか、ついにその瞬間がやってきます。

 

 

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△同 飛 ▲4二と    △同 玉    ▲4三銀打

まで87手で先手の勝ち

 ▲4三銀打をみて、渡辺竜王の投了。

 羽生棋聖は4勝1敗で竜王位を奪取、通算7期として、永世竜王の資格を得ました。これで7つのタイトルに存在するすべての永世称号の資格を持つ、『永世七冠』を達成。

 途方もない夢物語が、現実になった瞬間でした。

 誰とはなしに、自然と拍手が起きて。純粋で惜しみない称賛が込められたそれは、しばらく鳴りやみませんでした。

 

 そこから先の世間の反応は、ご存じの方も多いでしょう。

 速報のニューステロップが流れ、新聞は号外を配り、たくさんの方が驚きと祝福を述べました。その中には「将棋はできないが本を読んで、羽生さんを尊敬している」という方もいましたね。羽生善治という棋士の輝きが、将棋界の外にまで伝わった夜でした。

 記者会見で淡々と受け答えをする羽生さんは、これまで通りの羽生さんでした。

「将棋そのものを本質的にどこまでわかっているかと言われたら、わかっていないのが実情」

 偉業を成し遂げた直後とは思えないような言葉ですが、これが羽生さんの本心でしょう。

 誰よりも将棋が好きで、情熱を傾け続けてきたからこそ、紡がれた言葉です。その視線は、記録よりも先を見据えていました。

 

 

 誰も踏み入ったことのない高み。その場所が特別なわけではなくて。

 ただそこに立つ人が、積み上げてきた軌跡が、何よりも素晴らしいのだと……今は思います。

 

 そしてまた、ここからだって、物語は積み上げられていくのです。

 これまでへの敬意と、これからの期待をもって筆を置くことにします。

 

 おめでとうございます。そして、ありがとうございました。

 

 

 

(了)

安部菜々の名局振り返り  鰻屋の復活

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 これまで長きに渡って将棋が指され、あまたの棋譜が残されてきました。その中でも名局と呼ばれる、ひときわ輝きを放つ勝負も、数えきれないほどあります。

 でも……ふと振り返ってみたときに、頭から離れない一局があるんです。その指し手が、悲鳴が、熱狂が……今でも目の前に浮かんでくるような、勝負。


 今回は、そんなお話です。

 

 

第53期王位戦 挑戦者決定戦  

渡辺明竜王藤井猛九段 戦 (2012年5月30日)

 

 昨日のことのように思いだせますけど、もう5年前ですか。時が経つのは早いですねぇ……。少し、昔話をしましょう。

 

 このとき、将棋界の勢力図は大きく動こうとしていました。渡辺竜王(当時)が各棋戦を勝ち上がり、19期連覇していた『無敵王座』こと羽生王座からタイトルを奪取。「世代交代」といった語も、まことしやかにささやかれていました。

 

 この王位戦も勢いを象徴するかのように紅組リーグを4勝1敗で勝ち抜け、挑戦者決定戦に進みました。充実した若手棋士って、負けるイメージが湧かないときがありますよね?まさにそんな状態でした。
 対して白組を勝ち上がったのが、藤井猛九段。藤井システムで棋界を席巻したのも20年近く前のことで、激しく厳しい対システム研究によってパッタリと採用がなくなります。藤井九段曰く『ファーム落ち』の時代ですね。
 以降は角交換四間飛車や藤井矢倉など、さまざまな序盤を編み出してきましたが……思うように勝ちきれない将棋も多々あって。王座戦挑戦や前期王位戦の挑戦者決定戦進出などの活躍もありながら、一方で順位戦ではA級からB級2組まで連即降級を喫していました。
 対戦成績は、渡辺竜王の6勝3敗。持ち時間の長い対局ではことごとく渡辺竜王が制していました。そんな中で、挑戦者決定戦を迎えたのです。
 振り駒で渡辺竜王の先手に。藤井九段が作戦の限られる後手番で、何をぶつけるのか……注目が集まりました。

 

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▲2六歩    △3四歩    ▲7六歩    △4四歩    ▲4八銀    △4二飛

 4手目 △4四歩……この手だけで歓声がわくのは、この人しかいないでしょう。ノーマル四間飛車藤井システム。大一番で指された藤井九段の代名詞に、観戦していたファンは快哉をあげました。

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▲6八玉    △9四歩    ▲7八玉    △7二銀    ▲5六歩    △3三角
▲5八金右  △6四歩    ▲2五歩    △5二金左  ▲5七銀    △3二銀
▲5五角

 藤井システム左美濃穴熊、急戦のすべてに対応するべく研究された四間飛車です。1998年には谷川竜王(当時)を下して、以降3連覇を達成しました。……ですが羽生世代を中心に対策が進み、居飛車も十分に戦えるという認識が広まっていくことになります。
 ファーム落ちから実戦に復帰させたのが2011年の夏、しかし以降もメインで使う状態ではありませんでした。

 ▲5五角と出た手は代表的なシステム対策で、仕掛けに必要な△6四歩を否定しにいく手です。△6三銀で後手陣が崩れるという主張で、本譜は急戦ではなく▲3七角と引いて駒組み勝ちを狙う展開になりました。

 

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     △6三銀    ▲8八玉    △9五歩    ▲3六歩    △4三銀
▲6六歩    △6二玉    ▲1六歩    △5四銀左  ▲3七角    △4五歩
▲6七金    △6五歩    ▲7八金    △7一玉    ▲7七桂    △6六歩
▲同 銀    △6五歩    ▲5七銀    △2二飛    ▲7五歩(上図)

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△7二銀
▲7六金    △8四歩    ▲6八銀上  △4二飛    ▲8六歩    △1四歩
▲6七銀    △3五歩    ▲同 歩    △4四角    ▲2六角    △6三金
▲6八銀    △4六歩

 手順は長くなりますけど、大きな流れとしては先手が位を取って抑える方針。後手は美濃を復活させましたが、動かせる駒が少ない状態。ここは後手の作戦負けですね。先手は指したい手がたくさんあるので、手渡しもできません。後手からの開戦となりました。

 

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▲同 歩    △6六歩    ▲同 銀    △同 角 ▲同 金    △4六飛   
▲4八歩    △3三桂    ▲3四歩    △2六飛 ▲同 飛    △4四角   
▲2七飛    △6六角    ▲3三歩成

 角銀交換で、飛車をさばく。ひとめ無理筋ですけど、これ以外はもっと苦しくなるとみた判断です。先手も強く迎え撃ち、形勢は開いていきました。
 序盤巧者の藤井九段が、作戦負けで中盤戦に入る。このときは、活気とは程遠い雰囲気だったことを覚えています。と金が迫るのは目に見えてますし、金銀だけで先手陣が崩せようには思えません。

 ここから起きたことは、おそらく誰も予想すらしていなかったでしょう。

 

 

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△6九銀 ▲4二と    △4一歩    ▲3二飛    △6二金引

 竜王時代の、藤井九段の棋譜をみるようでした。

 △6九銀、直接金を狙う『ガジガジ流』です。「寄せとは剥がすことなり」という格言もありますが、この局面で打つ棋士は少ないでしょう。そして▲4二とに、△4一歩と受けた手が非凡な好手でした。
 先手の狙いは▲5二と△同金で美濃を崩してから飛車を打つこと。下段の歩は手筋ではありますが、△6九銀から一転して貴重な1歩を受けに使う発想は誰も持っていませんでした。次の△6二金引も、控室から悲鳴があがる一手。美濃囲いを知り尽くしてなければ指せません。△6九銀、△4一歩、△6二金引……バラバラに見えるこの3手で、先手陣に火が付き後手陣は一気に引き締まりました。
 あまりにも高度な応酬に、観ているこちら側は何が起きているのか分からず混乱するばかりでした。ですが簡単に終わりそうにない予感がただよってきたのは、肌で感じていました。

 局面が、控室が、観戦者が……熱を帯びていきます。

 

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▲5五歩    △同 角 ▲7九金    △5八銀成  ▲6七銀    △6八金   
▲5八銀    △同 金 ▲5九歩    △6八銀    ▲7八金    △5七金   
▲8九桂    △4二歩 ▲同飛成    △6六歩    ▲3四角    △4三歩   

 先手がミスをしたというより後手が狙いを上回る好手を指したという表現がふさわしい一連の手順でしたが、ついに▲5五歩で流れが後手に傾きます。
 5筋の歩を切って受けに回るのは、それまでの方針とはちぐはぐです。後手の攻めを受けきれるならそれでいいですけど、ガジガジ流がさらに火を噴くことになりました。
 金銀と角の利きだけで、先手陣が崩壊していきます。絶大だった厚みが消え、剥がされた先手玉は薄く心もとない。対して後手玉は美濃が鉄壁で、攻めに専念できる形。

 こうなったら、本家の鰻屋は止まらない。終盤にさしかかり、熱気は増すばかりです。

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▲6九歩    △7七銀成 ▲同 桂    △6五桂    ▲7六銀    △7七桂成 
▲同 金    △6五桂 

 
 後手の攻めは切れません。10手以上放置していたと金を取って、△6六歩と垂らす。△4三歩と受けて、後手玉は依然鉄壁のまま。さきの▲5五歩が、祟ってきました。そして急所の△6五桂。歩を1枚も余さず攻めが繋がりました。『1歩竜王』を連想させるような……ファンの待ち望んだ藤井将棋です。

 終盤に突入していきますが、ここまでの攻防で対局者は時間をかなり消費していました。渡辺竜王は1分将棋に入り、藤井九段も持ち時間2分。これが、さらなる激戦を呼びます。

 

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▲同 銀    △6七歩成  ▲同 角    △6五銀    ▲5七飛    △7七角成
▲同 玉    △6六銀打  ▲6八玉    △7七金    ▲5八玉    △6七金
▲同 飛    △同銀成    ▲4七玉    △3九飛

 ボロボロと先手の駒が取られていきますが、お互いに時間のない中で後手にもミスが生じました。△6七同成銀がそれで、不成なら5六の地点を塞いでいるから▲同玉と取るしかなく先手は寄ったそうです。でも対局中はそれを精査する時間も、反省する余裕もありません。控室ですら、結論を出せないまま手が進んでいきました。
 裸の先手玉が捕まるのか……中継サイトに映る将棋盤の30秒ごとの更新を、食い入るように見つめていました。

 

 

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▲3七桂    △5六銀 ▲同 玉    △3七飛成  ▲4七金    △3五龍   
▲6七玉    △5五桂 ▲6八玉    △4七桂成  ▲同 歩    △6五龍   
▲6七銀    △6六金 ▲7八銀打  △5七角    ▲5八玉    △3九角成 
▲4八銀    △5五龍 ▲5六桂    △4八馬    ▲同 玉    △5六金   
▲3七角    △5七金 ▲3八玉

 

 打たされたはずの歩の絨毯が、やけに受けに利いてくる。大海を泳ぐ先手玉は、捕まるのかどうかも分からない。そもそも、考える時間もない。理解をとうに置いてきて、熱気と興奮が渦巻いていました。

 何度、悲鳴があがったでしょう。ひたすらに、勝利を求めてもがく両者の指し手が更新されていきました。

 

「人間の勝負だ……」(勝又清和六段)

 

 このコメントが一番よく表していたと思います。今持っているものすべてを、盤にぶつけるような応酬が続きました。

 永遠に続くと思えた終盤も、クライマックス。
 「ひとつ、ひとつだ」のコメントがされた局面です。ここで△4五竜とひとつ寄る手が、分かりにくいですが詰めろだったんですね。

 (変化図)

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△4五龍    ▲7四桂    △4七金    ▲2九玉    △3八銀    ▲1八玉
△2七銀成  ▲同 玉 △3七金    ▲同 玉    △3六歩    ▲3八玉   
△2六桂    ▲3九玉 △5七角    ▲2八玉    △4八龍    ▲1七玉   
△3七龍    ▲2七金 △3九角成(まで、先手玉は詰みとなる)

 ただ、1分将棋でこの手順は難解なうえに読み切らなければ指せません。後から調べればいろいろなことが分かりますけど、詰まなかったら将棋が終わる手順です。

 そして指された手は……ふたつ。これだと先手玉に詰みはありません。▲7四桂で、後手玉にもついに詰めろが掛かりました。
 どちらが勝っているのか分からない、何が指されるかも分からない。観ていた誰もが、この勝負に魅入られていました。

 

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     △3五龍    ▲7四桂    △4六桂    ▲2八玉    △7四歩
▲6四角    △7三桂    ▲4六角引  △3六龍    ▲2七金    △3五桂


 最後に活躍したのは桂馬でした。△4六桂の王手が返し技で、攻守を再び入れ替えます。

▲2七金が最後のミスで、ギリギリ受けになっていなかったんですね。竜を見切って△3五桂が決め手で、先手玉は必至になりました。


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▲3六金    △2七銀    ▲2九玉    △4七金    ▲3九歩    △3八歩
▲6二龍    △同 金    ▲5一飛    △8二玉

 最後の王手ラッシュは、△8二玉でわずかに届かず。美濃囲いの堅さ、遠さ、そして端の位が最後まで活きています。

 

まで、166手で後手、藤井九段の勝利。

 

 息詰まる終盤戦を、ほぼ1分将棋で70手……対局者の疲労は想像を絶しますし、観ていただけでも体力を消耗していました。

 グッタリはしていましたけど、同時にとても幸せな時間でした。感想すら浮かぶ余裕もなくて……「この勝負を観られてよかった」と満足感に浸るばかりでした。

 

 この対局は棋譜だけみれば、互いにミスがある将棋です。本来の「名局」の概念からは、少し逸れているかもしれません。それでもこの勝負には、人の心を動かす力が確かにありました。藤井システムという戦型だったり、対局者の棋風だったり、1分将棋の熱気だったり……一局に収まりきらない数多の積み重ねが、この対局を名局たらしめたと、勝手ながらに思うのです。

 このとき、この2人だからこそ生まれた興奮と感動が、詰まっていました。

 

 そして棋士の歩みは、1局で止まることはありません。挑戦を決めた藤井九段は羽生王位相手に藤井システムと角交換四間飛車を武器に挑みます。
 ここでは棋界の流れを大きく変えるくらい、角交換四間飛車が大活躍をするのですが……それはまた、別のお話です。

 

 最後にこの王位戦の前に寄せられた文を紹介して、終わりとします。

 

「B1から落ちたら墓場だと思っていた。でも、そうじゃないんだ。落ちたらまた上がればいいんだよ。そう思えない精神状態がおかしいんだ。何度でも上がればいいんだから」(藤井猛九段、将棋世界2012年5月号より)

 

 

 技術も、体力も大切ですけど……最後の最後に輝くのは、「諦めないこと」なのかもしれません。

 

(了)

佐久間まゆの徒然観戦  悲願の季節

 

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 9年前、羽生ファンは涙をのみました。

 

 それからは毎年のように期待を抱いて、くちびるを噛みしめる季節がやってきて。いつの間か、かなりの年月が経っていたようです。

 永世七冠……絵空事のような、作り話でも描けないような偉業を目の前にして、あと1期。

 竜王戦だけは、観る側にとって特別なものであり続けています。

 

 羽生善治三冠、通算タイトル98期。7大タイトルですから、平均すると1つにつき10期以上獲得していることになります。想像もできない数字ですけど、実際はタイトルごとに大きな偏りがあります。

 最多は王座戦で通算24期。でも竜王戦は……通算6期です。それでも歴代2位ですし、これだけでも偉大な記録ですけど『永世称号』がまだなんです。タイトルにおける、殿堂入りにみたいなものですね。

 棋戦ごとに違いますけど、竜王位は連続5期、通算7期で永世称号の資格を得ます。

 竜王戦は2003年に失冠してから、奪取できていません。10年以上、あと1期が続いてるわけです。

 少なくとも、ファンにとっては……悲願といえるでしょう。

 

そして、今年もまた……この季節がやってきました。

 

(2017年7月31日)

第30期竜王戦 挑戦者決定トーナメント準決勝

羽生善治三冠―稲葉陽八段 戦

 

 竜王戦は1組から6組に分かれてトーナメントを行い、上位者が挑戦者決定トーナメントに進めます。細かなところは複雑ですけど……挑決トーナメントは「負けたら終わり」です。

 毎年のように、勢いに乗った若手や実力者が激戦を繰り広げています。対戦相手の稲葉八段も、今期名人戦の挑戦者になった方ですね。居飛車党で、受けや粘りに定評があります。

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▲7六歩    △3四歩    ▲2六歩    △8四歩    ▲2五歩    △8五歩
▲7八金    △3二金    ▲2四歩    △同 歩    ▲同 飛    △8六歩
▲同 歩    △同 飛    ▲3四飛    △3三角    ▲6八玉

 戦型は、横歩取りに進みました。両者得意としているので、ここまでは自然です。

 ……でも、▲6八玉で局面が一気に緊迫します。羽生さんの選択は『勇気流』でした。

 勇気流は横歩取りの中でも最新型で、先手が形を指定して主導権を握ることができます。そのぶん、かなり高い攻めの技術が必要ですけど……だから指してるんですかねぇ?

 羽生さんは勇気流の初期から採用をしていて、今期竜王戦でも村山七段相手に指しています。発案者の佐々木六段も連勝していましたけど、2番目くらいに勝っていると思います。

 もともと、勇気流の前身の青野流も愛用されていましたから……棋風や感覚があっているのかもしれません。

 竜王戦でも、青野流を採用して勝ったことがあるんですよ?(第23期 羽生―小林裕 戦)

 その後、先手苦戦の研究が出て、採用はなくなりましたけど……序盤から攻めっ気100%の羽生さんも、いいものです……♪

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△8五飛 ▲3六歩    △2五飛    ▲2八歩    △8五飛    ▲3七桂   
△8二飛 ▲3八銀    △4二玉    ▲8四歩    △7二銀

 後手には何通りかの応手がありますけど、一番激しい最新研究は△5二玉から△7六飛です。羽生―村山 戦で指された変化で、その後の広瀬―稲葉 戦で先手に修正手順が出ています。両対局者が経験した形ですけど2局とも先手勝ちでしたから、後手の稲葉八段は別の手を選んだようです。

 本譜△8五飛から△2五飛とするのも有力とされる手順で、▲2八歩と打つことになるので先手の攻めを制限しています。狙いは、先手陣の抑え込みです。

 ただ△8五飛と戻って、更に△8二飛と引くので3手損しています。▲2八歩も大きいですけど……損得は難しいですね。

 勇気流の中でも変化のしやすい力戦になって、△7二銀で前例を離れました。30手弱で、未知の世界です。

 △7二銀ではなく△2二銀とした前例はあって、こちらは▲4五桂を先受けした自然な手です。本局で▲4五桂が成立するか、これは大きな問題でしたけど……1時間9分長考して、断念しました。感想戦で指摘されたのは、こんな感じで――

 (変化図)

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(△7二銀以下 
▲4五桂    △8八角成  ▲同 銀    △3三歩    ▲2四飛    △2三歩
▲2五飛    △4四歩    ▲5三桂成  △同 玉    ▲5五飛    △4三玉
▲8五飛    △6四歩)

 先手が少し無理をしているそうです。

 というわけで断念して▲7七桂と跳ねました。青野流ではよく出ていた手で、今度こそ▲4五桂ーから▲6五桂と殺到する狙いです。

 後手は徹底して先手の攻め筋を消しにかかります。

 

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▲7七桂    △4四歩 ▲9六歩    △8六歩    ▲9七角    △4三金   
▲3五飛    △8四飛 ▲8五歩    △8二飛    ▲8六角    △7四歩   
▲7五歩    △同 歩 ▲同 飛    

 すぐの仕掛けは先手も無理なので、2次駒組みですね。端から角をのぞいて、飛車を7筋に回ったあたりはひねり飛車みたいです。若かりし羽生さんが得意としていた形に似ていますけど……玉と角の位置が少し気になります。

 △7三銀~△6四銀で抑え込まれるといけないので、6筋の位を取りました。玉頭だけに怖いですけど、そうは言ってられない局面なんです。

 攻めが繋がるか、受けきりか。ギリギリの駆け引きが続きましたけど、△5四金で流れが一気に変わりました。

 

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 ▲4五歩    △同 歩 ▲4七銀    △8三銀    ▲6七金    △7四歩   
▲3五歩

 △5四金は陣形がバラバラになるかわりに、▲6四歩の捌きを封じながら△8三銀と動く狙いがあります。△7二銀とぶつけて飛車交換になると、先手は△6六飛で王手角取りです。……玉の位置が、マイナスになりますね。

 ですから、先手はここで動くしかありません。4筋を突き捨てて、▲4七銀と出る。……ひと目みて、遅いと思いました。▲5六銀、▲4五銀の2手かけてやっと攻めになる手です。

 右辺の形を崩すと、2手かける間に右も左も戦場になります。その分だけ、自玉も危険になる……。

 後手は狙い通りの△8三銀。次に△7二飛となれば、先手陣は飛車打ちのスキが多すぎます。

 そこで▲6七金と飛車にヒモをつけましたけど、金銀がバラバラで勇気流だったとは思えない陣形です。7筋と8筋から圧力をかけられて、銀を上がる余裕もありません。

 もし、大駒が抑え込まれてしまえば……この将棋は、それでお終りなんです。

 それでも、羽生さんはいつものように▲3五歩と手を渡します。

  局面を直視するのが怖い。そう思えるくらい、後手の圧力はすさまじく見えました。

 

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 △8四歩 ▲3六銀    △8五歩    ▲9七角    △7五歩    ▲同 角   
 △7四銀

 

 △7五歩は「大駒は近づけて受けよ」の手筋で、どちらで取っても銀で攻められます。逃げても△7三角が厳しすぎますね。

 また……今年も、終わってしまうのか。イヤな想像もしてしまいました。それくらい、先手が良い手順を見出せませんでした。

 △7四銀で抑え込みが決まったと、思ったんです。それは……とんでもない思い違いでしたけど。

 

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 ▲4五銀    △7五銀    ▲同 飛    △3三歩

 角取りを手抜いて▲4五銀。角銀交換を甘受して、手番は後手。普通は、後手が優勢としたものです。

 なのに……後手から、ピッタリした手がありません。

 遅いと思った右銀が、狙われそうな▲3七桂が、▲3五歩が、後手を縛っています。▲4三歩のような手もあって、受けきるのが難しいんです。

 △3三歩と受けて、先手は銀と歩の持駒だけ。単純な攻めだと、切れてしまいます。

 ここから、マジックのような攻めが始まりました。

 

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▲8三歩    △9二飛 ▲5四銀    △同 歩    ▲8二金 

 ▲8三歩に△同飛は、▲7二銀や▲5四銀の攻めをみて先手のプラスです。△9二飛とかわして難しく見えますけど……俗手の▲8二金が飛び出しました。

 貴重な金駒を僻地に使うのは、普通はダメな手です。でも、本局では成立していました。▲8一金と取った手が、▲4四桂△4三玉▲5二銀をみているんですね。後手玉の急所をとらえています。そして、5二に打つ銀は角銀交換で手に入れた銀です。

 切れてしまいそうな細い糸が、一本に繋がっていきます。

 

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△9三飛 ▲8一金 △8三飛 ▲7一金    △8四角    ▲7四飛   
△6二金    ▲7二金   △5三金 ▲7三銀 (上図)   
△同 角    ▲同 金    △8一飛   ▲6三金(下図)

 後手も角を使って抵抗しますが、一ヶ所でも破れてしまうと抑え込みは薄さが響いてくるんです。

 俗手の追い打ちで、▲7三銀。どう応じても、後手の大駒を取り返せます。

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 ▲6三金で、飛車成りが確実になりました。8二に打ったはずの金が、活躍しながら6三まで旅をする……あまりにも鮮やかな手順です。

 抑え込まれていた攻め駒が、息を吹き返して輝いています。

 まるで、魔法をみているみたいですねぇ……。

 指しにくい手順でも掘り下げて、正確に指しぬく……羽生さんの棋風は昔から変わりませんけど、この瞬間だけは未だに理解はできません。

 

 だからこそ、強いんです。

 

 

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△同 金 ▲7二飛成  △4一飛    ▲4四桂    △2二玉    ▲3二角   
△3一金 ▲4一角成  △同 金    ▲4三歩

まで99手で先手の勝ち

 先手陣も金銀はバラバラですが、すぐには寄らない形です。急所の▲4四桂がついに入って、後手玉は受けがありません。

 ▲4三歩で、稲葉八段の投了となりました。

 詰めろですけどこの歩は取れないので、指しようがないです。

 

 本局は、羽生将棋の真骨頂ともいえる展開でした。

 羽生マジックという言葉は、まるで「ありえない一手」の意味に使われがちですけど……実際は、少し違います。

 普通は成立しない手でも、深い読みと正確な判断で活路を見いだす。「例外の手順」を拾い上げるのが羽生将棋なんです。ですから「マジック」と言われる一手は、羽生将棋のごく一部分でしかありません。

 うまく表現できないですけど、理解できないからこそ惹かれるのかもしれません。

 

 これで羽生さんは挑戦者決定戦に進みました。相手は1組決勝でも戦った松尾八段です。

 戦いはこれからですし、ここから先も険しい道のりが待っています。

 

 永世称号が、何かを劇的に変えるわけではありません。

 ファン目線の勝手な思いということも分かってます。

 

 でも……好きな人を応援するのに、理由なんていりません。

 だから、こうして追いかけ続けて、勝ってほしいと……願いたくなるんです。

 きっとこの気持ちが消えることは、ないのでしょう。

 

 頂点に立つ、その瞬間まで……ずっと。

 

 

 

(了)